高知県の偉人の銅像と史跡を巡るドライブから空港へ
高知県東部の山あいにある北川村(きががわむら)。今回、私の「高知の旅」では「モネの家 マルモッタン」へ訪ねるためにやってきたのですが、実はもう一つ別の旅の目的があったのです。
その象徴がこの銅像。
ここが山に囲まれた土地であることが分かりますよね。
この銅像の主は、土佐藩士であり幕末の志士である中岡慎太郎(なかおか しんたろう)。
坂本龍馬と一緒に暗殺されたことで非常に有名ですが、やはり凄い人物だったのです。
このすぐ向かいには「中岡慎太郎館」があって、その足跡と功績の記録や展示が見学できます。
武市半平太の土佐勤王党に参加した後、土佐藩を脱藩。その後、長州へ赴き長州藩士とともに行動し参戦。
三条実美らの勤王公家とも交流し、薩摩藩へも接近。実は坂本龍馬より早く薩長同盟に向けて動いていたとされます。
その後、薩土盟約にも奔走し討幕を目指し、陸援隊の隊長へと。そんな激動の人生を、ここで顧みることできます。
そのすぐ近くに小さいですが「中岡家 慎太郎食堂」があって、我々はここで遅いランチを食べました。
食事を待ちながら、彼のパンフレットや資料を読みました。
中岡慎太郎というと、精悍な顔であったり笑顔がまぶしい写真が残っていて、人物像を想像しやすいのが人気の要因の一つ。
ここから、少し坂になった小径を降りて行ったところに「中岡慎太郎生家」がありました。
これは昭和42年(1967年)、慎太郎百年祭の時に復元されたものだとか。実は、中岡家は北川郷の大庄屋で、慎太郎もこの地で生まれたのです。龍馬もそうでしたが、裕福な家だったのですね。
中も綺麗に整備されていて、上品さを感じました。
向学心が高く、様々な勉学に励むと同時に剣術にも力を注ぎ、高知の武市半平太の道場に入門。その後、儒学や砲術も学んだそうです。
その過程で、日本を変えようという強い志に目覚めたわけですね。
この上から石段を少し登ったそれほど広くはない平坦な場所に、中岡記念公園があって、ここに「贈正四位 中岡慎太郎先生碑」があります。
この石碑は、慎太郎の次の陸援隊隊長であり、明治に新政府高官となり宮内大臣も務めた田中光顕(たなか みつあき)の後押しで地元の青年団によって昭和2年(1927年)に建立されたとのこと。
この田中光顕こそ、龍馬と慎太郎の暗殺後に一番に駆け付け、2人の最期を知る人物。慎太郎は翌日まで生きていたといいますね。
石碑の裏には、中岡慎太郎の経歴が刻まれた数メートルの石版があって目を引きます。
30年の短い人生でありながら、なんとも長い石版。凄いです。
一方の田中光顕は95歳まで生き、昭和に入ってからも龍馬と慎太郎の業績を語り継ぎ称えてきたことが、現代における2人の人気の礎になっているのは間違いありません。
中岡慎太郎がもし暗殺されてなかったら、明治政府でも活躍していたはずでしょう。
そんな北川村の地元の人々の愛や、郷土の偉人を誇らしく思う気持ちが伝わってくる、ここはまさに中岡慎太郎ワールドといった場所でした。
山あいの北川村を離れた後は、再び海沿いの国道55号へ。
そんな道端でしばし車を停め、室戸岬方面を眺めました。
自分が高知県のどの辺りにいるのか、視覚的にも掴んでおきたかったので。
黒潮の流れる雄大な太平洋。
日に照らされた高知の海の風景を、いろんな場所で車を停車して味わいました。
そんな道の歩道を、白装束のお遍路さんが歩いていたりして、ここは四国だなというのをあらためて感じていました。
次の目的地も、土佐の偉人の故郷。西へ向かい高知市に戻る途中の安芸市(あきし)でした。
この銅像の偉人が生まれた場所は、海沿いから市街の内陸に入った田園地帯にありました。
はい、三菱の創業者の岩崎彌太郎(いわさき やたろう)です。日本地図を眼下に見下ろす立派な銅像でした。
山に挟まれたいかにも扇状地といった地形で、失礼ながら田舎です。
近くにある彌太郎の生家。いわゆる中農レベルの屋敷だそう。
地下浪人(じげろうにん)といわれる土佐の武士の中でも最下級の身分で、暮らしも貧しかったことでしょう。
ここから、日本一の財閥を築きあげるのですから、、。本当に途方もないことです。
ただ、少年の頃から大志を抱いていた。
小さい庭に置かれた石は、日本列島を模したもので、これを「我が庭の内にあり」と上から眺め、天下をまたに駆けることを夢みていたとか。
話には聞いていましたが、やっとこれを見られました。凄い野望を描いていたのですね。
生家の隣には、これまた大きな石碑があります。
「岩崎彌太郎生誕之地」と彫られた石碑は、昭和38年(1963年)に三菱グループ各社の協賛により建立されたもの。
実は、三菱財閥の2代目総帥で彌太郎の弟の彌之助(やのすけ)も、3代目で彌太郎の長男の久彌(ひさや)もここで生まれたのです。
確かに三菱発祥の原点といえますね。
ですので、裏にある蔵には、三菱のスリーダイヤモンドの紋が。微笑ましかったです。
土佐藩山内家の三つ柏の家紋と、岩崎家の三階菱の家紋が合わさって作られたといいますね。
もとは土佐藩が行っていた商事・海運業を引き継いで独立した経緯がありますから。
そんな岩崎彌太郎の生家の庭に伸びる大きな樹木は、当時からあったそうです。
私は三菱系の会社に勤めているわけではありませんが、もしそうだったら感慨があるでしょうか。
まあ、友達に三菱系の人が結構いますが、彌太郎の生家に行ったという話は聞きませんから、あまりそうではないのかも。
と、一通り見学してから、また海沿いの道へと出ました。
ちょっと日は隠れてしまいましたが、土佐湾の長~い弧を描く海岸線を見つめて、しばし高知県を実感していました。
ここから更にドライブして高知市に戻ってきて桂浜の近郊へ。
次に訪れたのは、武市半平太(たけち はんぺいた)の旧宅跡。
高知市仁井田(にいだ)。緑多い山間の道から少し登った高台にありました。
ここには、半平太を偲ぶ瑞山神社と瑞山記念館、更にお墓もありました。ただ旧宅は非公開。
ひっそりとした記念館を見学して。
土佐勤王党の首領として一時藩政をリードしながら、政変により山内容堂が藩政に復帰し、投獄され維新前に37歳で切腹となりました。
郷士(ごうし)の身分でありながら土佐藩を代表する志士として活躍。高知城下から離れたこの地に住んでいたのですね。
やはり、今でも敬愛されていることを感じました。
さて、今度はそこから車でほど近い五台山(ごだいさん)へ。
山道をぐるぐるとかなり登ったところに、高知県立牧野植物園がありました。
ご存じ、土佐が生んだ「日本の植物分類学の父」、牧野富太郎博士ゆかりの植物園。
牧野植物園は、山の上の約8ヘクタールという広大な敷地に数千種もの植物が生育されています。
短時間で見学するのは無理ともいえますが、私はそれを実行。この植物園の雰囲気と景観を少しでも味わいたくて。
起伏ある花壇の合間を通る小径を登って行きました。この辺は「こんこん山広場」っていうんですね。
季節は6月。残念ながら日が陰ってしまい、あまり鮮やかな花の風景は見られなかったのですが、やはりいい所ですね。
こんこん山には幾つか展望台があって。
そのうち一つから眺めると、この植物園が山の上にあることがよく分かります。
今回は時間が限られていたので、花や植物を鑑賞するというよりは、その風景を垣間見る感じで。
また、違う方角を眺めるとこんな素敵な景観が。
森の中にある大きな温室がとても印象的。その隣には、五重塔もある立派なお寺の伽藍が見え隠れしていました。
このお寺は、お遍路の第31番札所の竹林寺(ちくりんじ)。徒歩でお参りするのは大変だろうな、なんて思いながら眺めてました。
こんな山の中にある植物園にも銅像がありまして。
はい、牧野富太郎像です。
実は、牧野博士は、ちょうど武市半平太が土佐藩で実権に握った文久2年(1862年)の生まれ。裕福な酒造業の家に育ったことは、NHKの朝ドラで知りました。その後の活躍も広く知られるようになりましたね。
やはり高知県出身の偉人の1人。ここは県立の植物園ですから。
さあ、時間が限られていたのは帰りの飛行機に乗るため。1時間程の滞在で高知県立牧野植物園を後にしました。
最後に、私の「高知の旅」のレポートを締めくくるのは、高知の空港での様子でした。
偉人の銅像を巡る旅は、ここでも続いていました。
空港ビルの脇にたたずむのは、吉田茂(よしだ しげる)です。
実は、吉田茂の実家は、高知県南西部の宿毛市(すくもし)。父は板垣退助の自由民権運動の同志であった竹内綱(たけうち つな)でした。それで高知県を地盤とする政治家になったのです。
とはいえ、この空港の主役はやはりこの人。
はい、坂本龍馬です。これは当然、この空港の愛称は「高知竜馬空港」ですからね。
2003年から、龍馬の名前が加わりました。
やはり、地元の最大の英雄ですからね。その人気にあやかってしまいますよね。
だから空港には、坂本龍馬にちなんだものが幾つか。
1階にも2階にも龍馬の像がありました。
まあ、坂本龍馬に憧れて高知へ訪れる人も多いでしょうから。私もそうかも。
確かに、高知で「リョーマの休日」を過ごしたかなと思いつつ、高知を飛び立ちました。
これで長きに渡り続けてきた、私の「徳島と高知の旅」のレポートを終わります。
6月の旅にもかかわらず、書き上げるが年末になってしまいお恥ずかしいのですが、これまで読んで下さった方々に厚く感謝いたします。有難うございました。
Bronze statues of great persons in Kochi, Kochi, Japan
この記事へのコメント
確かに、こうして見ると高知県て誰もが知る偉人をいっぱい輩出しているんですね。
ま、その中でも、最大の偉人は何と言っても坂本龍馬でしょうけどね。私も「高知」と言うと、まず坂本龍馬を思い浮かべて仕舞いますし。ww
それにしても、私は旅行すると先ずは景色の写真なんですが、こうして偉人の歴史・史跡を辿る旅も楽しそうですね。ま、私の場合は歴史好きでないと言うのが、何なんですが。でも、事前に調べてから行けば、歴史好きでなくても楽しめそうですね。
で、最後が「リョーマの休日」ですか。なら、レンタカーではなくてレンタバイク「ベスパ」でジェラートを舐めつつ周ったら面白そうですね。w
高知県の偉人の生家を訪ねられて、とても楽しく拝見しました
高知県立牧野植物園は私も行きました懐かしく思いました。
ありましたか。彼も幕末を生き抜いてたら、
明治政府の重鎮になっただろうにと
思うと、なかなか感慨深いものがありますね。
心惹かれたのは、「中岡家 慎太郎食堂」の
素朴な佇まい。中岡家とありますが、親戚という
訳でも無いんでしょう。生家の近くで
こじんまりと営む店の雰囲気は好ましい気がします。
岩崎弥太郎の生家は、やっぱり不思議な感じが
しますね。東京には、岩崎家関係のお邸や
別荘、その庭園などが今も数多く残ってますが、
その未来を予想させるものが何も無いんですから、
かえって神秘的に思える気がしました。
龍馬と慎太郎の現代における人気は田中光顕が二人の業績を語り継ぎ、称えたからこそなんて知りませんでした。
岩崎弥太郎、牧野富太郎・・・と次々登場し、高知は多くの歴史的人物を輩出したのですね。生家を見てその人の人生を考える時いろんな感慨にふけるのではないかと想像します。
それにしてもミクミティさん、充実した徳島、高知の旅でしたね。
ミクミティさんの興味はとどまるところを知らないようす。つぎは何方へ。
楽しみです。
目的はそちらにおありになりましたか。
龍馬を語るうえで薩長同盟の締結に尽力し実現させた慎太郎なしでは
語れませんね。パンフレットの笑顔がいいですよね。、
龍馬も慎太郎も若くして生涯を終えましたが、田中光顕は95歳を全うしましたか。
私たちが知るその時代背景を後世に語り継いでくださったのですね。
県東部はあまり行くことがないので、新たな発見がありました。
たくさんの銅像を紹介していただきました。
まだまだ銅像はたくさんあって県西部には、龍馬が土佐藩を
脱藩したルートに関連する場所があります。
脱藩の道・維新の道など歴史の跡などが残されています。
維新の門には坂本龍馬を含む幕末の志士8人の銅像が建立されていますので
アクティブなミクミティさん、いつかお越しの折には訪れてみてくださいませ。
素晴らしい旅でしたね。
私も数年前に中岡慎太郎さんの生家等々を回りました。
とても静かな地から幕末を動かす人が誕生したのですね。
高知は歴史的人物が多く輩出されていますね。もう一つの
目的が叶いましたね。素晴らしい旅行記、楽しませて頂き
ました。
高知県は遠いのであまり意識したことはないですが、幕末に活躍した偉人をたくさん輩出しているんですね。
誕生の地に銅像が建ち、その人となりを知ることが出来る記念館があるのは良いですね。
一番興味があったのは高知県立牧野植物園、ぜひ行きたいと思っていますが、どうなることやら…。
高知といえばやはり坂本龍馬でしょうね。
充実した徳島と高知の旅でしたね。
高知は中岡慎太郎、武市半平太に岩崎彌太郎そして牧野富太郎博士と幕末から明治の偉人たちと会える場所なのですねぇ。
素敵なところですね。
その方たちが活躍なさってる時は薩摩藩も帯同?!
幕末物で目にしますもんね。
中岡慎太郎の経歴が刻まれた数メートルの石版!凄いですね。
安芸市の岩崎弥太郎さんも超~有名です。
かの三菱財閥の創業者ですもんね~
日本列島を模した置石、
日本のみならず世界にもその名を轟かせました。
代々、彌の字を大事に受け継いで。
武市半平太、かなりのイケメンだったらしい?
そんな事しか思い浮かびませんが(^o^)丿
そうそう。。牧野植物園もこの地にあるのですよねー
練馬のその園には行きました。
リョウマの休日、かなり楽しまれて良かったですね🎶
いつも綿密にスケジュールを組まれていて感心してしまいます
こんな所に行って来ましたっていうだけじゃなく人物についての説明なども分かりやすく書いて下さってるので時間もかかってしまうと思います
私の15泊17日のドイツ一人旅なんて今より忙しかったので1年ぐらいかかりましたよ(笑)
個人の旅はツアーと違ってこんな所もあるんやと知ることも出来るので参考になりますね
ただ、中岡慎太郎生家や武市半平太の旧宅跡は知らなかったし、牧野富太郎博士ゆかりの植物園も知らなかったです。今なら「らんまん」を見ていたので、絶対寄ったでしょうけど。
高知県も、足摺岬と室戸岬、高知城を過去に訪ねたことがありましたが、まだまだ知らない旧蹟が多いことを知りました。
高地の旅、ほんとうに緻密に計画された跡が感じられ
さすがミクミティさんと、感心しています~☆
坂本龍馬は超有名人ですけど、中岡慎太郎のことは
ほとんど知らずにいましたから、こちらの記事で納得しました。
三菱財閥の源もこちらとは…知りませんでした。
私は来春、牧野博士の植物園に行く予定です。
私の会いたかった人の一人です~♡
中岡慎太郎も名前だけは知っていましたが、知識はなくて。丁寧なリポートになるほどと思いました。
いつもながら歴史の旅は充実していますね。お疲れ様でした。
高知の旅も歴史散歩をゆっくりされて、優しく解説
知らなかった事にそうなんだ、そうだったんだと
歴史は見る角度によって色々評価されますが、本当に
自分の意思で世の中を変える行動は坂本龍馬・中岡慎太郎さんの
生きた時代は大変だった事が見えてきますね。
円山公園に坂本龍馬と中岡慎太郎の像が再建される高知県の人の
心意気がよく伝わってきました。
皇室の歴史にもつながる事を知りました。
本当に歴史を優しく教えて頂きました。
これから100年後誰が歴史に刻まれるでしょうね。
長いレポート編集も大変だったでしょう。
ありがとうございました。
過去から近代まで
多くの偉人を輩出した
高知は素晴らしい気風が
育つところなんですね
我が木彫の師匠
岩崎さんも30年ほど前に
「リョーマの休日」の傑作を
作りましたので親しみがわきます
中岡慎太郎の像は京都・円山公園にもありますが、こちらは地元だけあって銅像だけでなく資料館や生家・公園もあるのですね。まさに中岡慎太郎ワールドですね(^^)
三菱の創業者・岩崎彌太郎も土佐出身なんですね。
坂本龍馬など土佐は幕末から明治にかけて、日本に大きな影響を与えた人を輩出した土地なんだなあと改めて思いました
昔は1枚の写真を撮影するのにかなり時間がかかったと聞くので、あの素敵な笑顔をその間保っていたと言う事は、根っから明るい方だったのかなと想像してしまいます
おっと、慎太郎食堂で食べたランチも見たかったなぁ~
長い旅行記お疲れ様でした。
高知県には歴史的な人物が多いのですね。
他の地域にも動きはあったのでしょうが薩長以外は土佐という感じです。
岩崎彌太郎の弟はともかく息子も生家で生まれたとはまだその時は全国に進出していなかったのでしょうか。
私は三菱系のごく末端で働いていましたが購入は一部の三菱製品以外何もなかったです。
私はこの方のことは朝ドラまで知りませんでした。
この方も高知ですね。
坂本龍馬の印象が強く、それに関わる
人物が思い出されてしまいます。
いろいろ歴史に関わる人物がいな〜〜っと
再認識できました。
はい、高知県は幕末に多くの偉人を輩出していますよね。
それまでにエネルギを溜め込んでいたみたいに。
今回の旅で、その何人かの痕跡に触れてみたかったのです。
もちろん、最大の人気は坂本龍馬ですが。それがどう生まれたのか。
田中光顕なしには考えられません。
私も、旅行ではまず景色の写真です。それにプラスして、史跡や名所の撮影も好きですね。
「リョーマの休日」、このフレーズはちょっと奇をてらっていますね。
高知県の偉人の生家、幕末に本当に多くの人材を輩出していますね。
高知県立牧野植物園には行かれましたか。
空港に比較的近いですから、次回はもっとゆっくりと見てみたいです。
はい、北川村はモネの庭があるだけでなく、中岡慎太郎の故郷でもあります。もちろん、最初から両方行くつもりでした。
慎太郎が幕末を生き抜いてたら明治政府の重鎮になったでしょう。
「中岡家 慎太郎食堂」は、実は中岡慎太郎先生顕彰会の拠点でもあるのです。食堂はそこに併設された休憩所だそうです。
岩崎弥太郎の生家は、東京の立派な屋敷や庭園を思い浮かべると、そのギャップに感慨深いものがありますね。
北川村には、「モネの家 マルモッタン」だけでなく、中岡慎太郎館の故郷としても知られます。だから行ってみたかったのです。
その裏に、田中光顕の存在が見え隠れしていましたね。
二人の業績を語り継いだことも尊いことでした。
武市半平太、岩崎弥太郎、牧野富太郎など、幕末の土佐に生まれた偉人の故郷に触れることができました。
お陰様で、充実した徳島、高知の旅となりました。
次の旅を披露する時間が無いのです。
やはり、北川村といえばモネの庭と中岡慎太郎なのですね。
事前に調べて、両方行きたいと思いました。
高知家東部に来たら、中岡慎太郎も外せません。ここでその人となりに触れた気がしました。その裏に、田中光顕の存在があったことも実感しました。
今回は、高知県東部へ。以前は、西部に行ったので。
それでも、また西部へ行って、様々な史跡を巡りたいと思いました。
中浜万次郎の関連もありますよね。
維新の門にも行ってみたいです。
「素晴らしい旅でしたね」と言われると嬉しいです。
ようやくレポートを完成することができました。
中岡慎太郎の生家へも行かれましたか。それはそれは。
確かに、山深く静かな地でしたね。
本当に幕末の土佐は、歴史的人物が多く輩出しました。
お陰様でそれを実感するドライブとなりました。
はい、幕末の土佐は、多くの偉人を輩出しています。
今回の旅はそれを実感させてくれました。誕生の地の銅像で、その人となりと地元の方々の愛を感じますね。
高知県立牧野植物園も素敵なところです。
山の上に広大な植物園があるとは。びっくりしました。
お陰様で、充実した徳島と高知の旅となりました。
今回のドライブで、中岡慎太郎、武市半平太、岩崎彌太郎、牧野富太郎と、幕末の土佐に生まれた偉人達の足跡に触れることができました。
当時の人となりを想像するのも楽しかったです。
はい、折角高知県東部まで行ったので、坂本龍馬の盟友中岡慎太郎も外せません。ここから巣立って全国を巡って活躍したのですね。
中岡慎太郎の経歴が刻まれた数メートルの石版、これは圧巻でした。
安芸市の岩崎彌太郎も、三菱財閥の創業者として凄い人物です。
「日本列島を模した置石」、これを一度見てみたかったのです。
武市半平太、イケメンだったのでしょう。写真は残ってないと思いますが。
牧野植物園は、桂浜の近く。次回はじっくりと見学したいです。
高知県は訪れたことが無いですか。
岩崎弥太郎、牧野富太郎は高知の出身。幕末に生まれ、明治に活躍しました。
吉田茂は東京生まれですが、実家は高知県だそうです。
はい、最後まで多くの所へ訪れました。
まあ、私の旅はだいたいこんな感じです。いろいろ行きたくなってしまいます。決して、綿密なスケジュールではないのですが。
自分自身の復習の意味で、人物についての説明もあらためて書いています。
確かに時間はかかりますね。
少しでもご参考になったのなら、幸いです。
はい、室戸岬までは行けませんでした。
高速道路ではないですから、移動に時間がかかりますね。
安芸市の岩崎弥太郎の生家、これは行って見たかったです。
少し内陸の田園地帯でしたね。
中岡慎太郎生家や武市半平太の旧宅跡、様々な名所がありますね。
牧野植物園は、今や人気のスポット。多くの人が訪れます。
やはり朝ドラ効果はてき面ですからね。
私も、以前足摺岬へは行きました。まだまだ色々ありますね。
今回の高地の旅、いえいえ緻密に計画していたわけではないのです。
様々歴史スポットがある中、時間と地図を見ながらドライブしたという感じです。坂本龍馬は超有名人ですが、中岡慎太郎はそれ程ではないですからね。やはり盟友だったのです。
三菱財閥の発祥地としても知られていて、是非行きたいと思っていました。
牧野植物園、是非じっくりと楽しんで下さい。
そうですね、確かに高知の田舎といった感じの所から、幕末に次々と偉人を輩出しています。凄いエネルギーだったなと感じます。
中岡慎太郎のことも少し知っていただき嬉しいです。
お陰様で、充実した高知の歴史の旅を送れました。
高知の歴史散歩の旅、お陰様でいろいろ巡ることができました。
少しでも参考になったら嬉しいです。
本当に幕末の土佐は多くの人材を輩出していると思います。
凄いエネルギーだったんだなと感じました。
円山公園の坂本龍馬と中岡慎太郎の像、有名ですね。
私も思い出します。今回の旅で、2人の生家に行くことができました。
その違いも味わいました。
長いレポートで、確かにかなり時間をかけてしまいました。
はい、土佐は過去から近代まで多くの偉人を輩出してますね。
幕末の人材のエネルギーが凄かったと思います。
木彫の師匠も、岩崎さんでしたか。
「リョーマの休日」というフレーズは、30年ほど前からあるのですか。
なるほど。
龍馬と慎太郎の像は円山公園にもありますね。
私も行って見たことがあります。その2人の故郷が高知県。
中岡慎太郎は、更に高知の東部の山あいだったことが分かりました。
はい、まさに中岡慎太郎ワールドでしたよ。地元の愛を感じました。
三菱の創業者・岩崎彌太郎も土佐出身。
ここから日本一の金持ちが出るなんて、、。
本当に凄い野心を持っていたことが分かります。
中岡慎太郎と言えば、清々しい笑顔が印象的ですよね。
確かに人柄を想像してしまいます。生まれ故郷の雰囲気が分かりました。
慎太郎食堂で食べたランチも美味しかったです。
ユニークな定食でしたよ。
はい、長い旅行記となってしまいました。
特に幕末に高知出身の歴史的な人物が多いですね。
まさに、薩長以外は土佐という感じがあります。
岩崎彌太郎の弟はともかく息子も生家で生まれのです。
まだ、江戸に勉強にしにいったり、長崎で仕事をしたりしていたころでしょう。
三菱系の会社で仕事をされていましたか。やはり多いですよね。
はい、特に幕末に生まれた高知県の偉人は多いですね。
そこに大きな大志を抱く教育熱があったのかも。
北川村にある中岡慎太郎の経歴を書いた長い石板は確かに凄かったです。
三菱の創業者で岩崎弥太郎の生家も、是非一度見てみたかったのです。
はい、牧野富太郎は、朝ドラで超有名となりました。
その前は私は知りませんでした。
今ではこの植物園も人気の観光スポットです。
坂本龍馬の印象が強いですね。その周辺にも当然立派な人物がいた訳ですね。
どうしても「龍馬のミニ版」のように感じてしまうところがあり、細かいことは知らないので、それだけに知りたいという欲求もあります。
生家なども行ってみたいのですが、なかなか公共交通では行きづらそうですね。
武市半平太には原理主義的なところがあり、龍馬のような柔軟性がなかった印象です。
それだけに事を進めるのを急ぎすぎ、早く死を迎えた感があります。
ただ、こうした印象も主に司馬遼太郎さんの小説などから得た部分が大きく、実像はどうだったのか、やはり知りたい欲求はありますね。
中岡慎太郎について「龍馬のミニ版」のように感じてしまいますか。
確かに、龍馬があまりに語られて、物語やドラマもありますからね。
慎太郎は知られていたい部分が多くあります。それでも薩長同盟には尽力していたはず。まあ、実際は多くの幕末の志士いたわけですよね。
北川村を訪れて、中岡慎太郎の凄さや地元愛も感じられました。
生きていたら、明治政府の高官になったろうなと思います。
一方の武市半平太はやや原理主義的なところがあって、かたくなな部分があったのでしょう。それにしても、一時は土佐藩政を牛耳っていたわけですから、大きな影響力のある人物であったことは間違いないですね。
現地を訪れて、様々な資料にも触れると、小説や物語をは違った面も見えてきますよ。もちろん、私は少しだけですが。