6月の徳島城跡と眉山の散歩
だいぶ時間が経ってしまいましたが、時は令和6年(2024年)6月下旬のこと、私の徳島での旅のレポートを続けさせて下さい。
宿泊したのは、JR徳島駅前のビジネスホテル。
部屋の窓からは、向かいの駅ビルに併設する高層ホテルがよく見えました。
ここは現代の徳島の交通の基点ともいえるでしょう。
ただ、私が興味を抱いていたのは、駅ビルの右手の裏に見え隠れしている緑に覆われた山。
「なにそれ?」と思われるかもしれませんが、そこが江戸時代には徳島の中心であったはず。
右手の東方向から鉄道の線路を渡って訪れました。
はい、そこは国史跡、徳島城跡。歴史好きとしては外せません。
江戸時代には、阿波・淡路を領地とする徳島藩の政治の中心でした。
現在、当時の建造物はほぼ残っておらず、徳島中央公園となっています。
こちらは徳島城の城門のひとつ、「鷲の門(わしのもん)」。
明治になって廃城となりお城が取り壊された際、唯一、残された門だったそうですが、昭和20年(1945年)の徳島大空襲で焼失。現在のは平成元年(1989年)の再現とのこと。
ここから少し内部へと歩いて行くと、お城の正面のお堀を渡るための橋が。
これが下乗橋(げじょうばし)。籠などの乗り物はこの橋の前で降りることになっていたそう。
かつては木製の太鼓橋だったそうですが、現在は花崗岩製の石橋に。
更に奥に進んで行くと、こんな銅像がありました。
徳島藩の藩祖、蜂須賀家政(はちすか いえまさ)です。
織田家中で、若き秀吉の出世を支えた蜂須賀小六(正勝)の嫡男。その後、息子を家康に味方させ阿波の国、17万5千石の領地を安堵。
激動の戦国時代を生き抜いた武将の1人ですね。
現在は、蜂須賀家の宝物を含む、徳島藩のゆかりの品々が、この徳島城博物館に展示されています。
当時の建造物が無いので、このお城風の外観を持つ博物館が、ここがお城であったことをイメージさせます。
蜂須賀家は、大阪の陣での活躍で、淡路の国も加増され、2か国合わせて石高は計25万7千石に。
外様大名とはいえ、途中からは当主が高松松平家や将軍家の血筋となり、高貴な家柄として立派な御殿がここにあったことでしょう。
その表御殿の庭園が、博物館前に広がっていました。
芝生の先には、築島を設けた堂々たる池泉庭園。
荒々しい岩がふんだんに使われ、力強さと優雅さを備えています。その岩の多くは阿波の国の特産の「青石(あおいし)」だそう。
その中で特に印象的なのは、この巨大な石橋。10mはあろうかという青石です。
蜂須賀家政の嫡男で、徳島藩初代藩主の蜂須賀至鎮(よししげ)が踏み割ったという伝説があるとか。
本来はここは枯山水の庭で砂が敷かれているそうですが、この日は梅雨の時期で、雨水が溜まっていたようです。
と庭園を一回りして少し離れて眺めると、向こうに緑の山が見えますよね。
はい、あれが「城山」。徳島城の二の丸や本丸は、あそこにあったのです。
日本百名城の一つの徳島城ですから、当然、城山にも登って見なくては。
結構、うっそうとした森の中の石段を登りましたよ。
私の他に誰もおらず、ちょっと心細くも感じましたが、、。
登り切ると、山頂に広い平地が広がっていました。
ここがかつての本丸の跡。
ここに様々なお城の施設や櫓(やぐら)があったはず。今は、ひっそりした芝生の広場でした。
ちょっと見えにくかったですが、木々の隙間から海を臨むことも。海上をにらんだお城だったのですね。
さて、寂しいので、すぐに本丸から降りて、城山の周りを散策しました。
城山の麓には、迫力ある岩肌の巨岩や巨石が幾つも。
「海蝕痕(かいしょくこん)」と呼ばれる、くぼみや削れた跡がそこに残ります。縄文時代前期の波による浸食の跡だそう。
当時、山の麓まで海が迫っていたとか。近くには、貝塚の遺跡も幾つかありました。
また、お城の巨木も凄かった。
樹齢600年ともいわれる「竜王さんのクス」。
徳島城築城の前からあった巨大なクスノキも、昭和9年(1934年)の室戸台風で倒れてしまったとか。歴史の証人ですね。
こんな、桜の木も立派だった。
6月なので、周囲のアガパンサスの群生がとっても綺麗で、思わず撮影を。
こんなふうに、徳島城跡を一通り巡ってから、次の目的地へ移動。
もうひとつ、徳島を語る上で欠かせないスポットでしょう。
一旦、徳島駅に戻り、駅前ロータリーから真っすぐに伸びる大通りを歩きました。
その先に見える山は、阿波の国のシンボルともいえる眉山(びざん)です。
万葉集にも詠まれ、「眉(まゆ)」の形に見えるのがその名の由来という歴史的な山。
そして、このヤシの木が生える大通りは、徳島の阿波踊りの代表的な会場にもなるところ。ちょうど新町橋付近から撮影しました。この辺りは江戸時代から商業地で賑わっていたとか。
その大通りの突き当りには、阿波おどり会館のビルがあります。
このビルの5階が、眉山へ昇るロープウェイの発着所になっているのが面白い。
うん十年前に、阿波踊りを見に来た時、昇ってみたいな思っていました。それが今回実現。
乗客は、我々夫婦以外は中国語を話す人達ばかりだったのが、時代の変化でしょうか。
数分後に標高290mの頂上へ到着。
展望台からは、こんな風景が見下ろせます。
西日に照らされた、東側にひろがる徳島の市街地とその先に紀伊水道の海がきれいに見えました。
更には、遠く対岸の和歌山県も薄っすらと。6月下旬の梅雨ど真ん中の晴れ間のシーン。ラッキーでした。
ズームアップしてみると、淡路島もクッキリ見えています。
あちらも徳島藩の藩領でしたから。手前の鳴門海峡大橋もよく分かりますね。
その手前には、大塚国際美術館もありますし。
それから、今度は徳島駅前をズームアップ。
ビル街に囲まれた緑の山が、さっき登った「城山」。つまりあそこが徳島城跡です。
ちなみに、左手には冒頭で紹介した徳島駅の高層ホテル、上部を流れるのが吉野川(よしのがわ)。ぶっといですね。
そもそも、徳島という地名も、吉野川河口の三角州の一つの島に由来しているとか。
それから、公園となっている眉山の頂上付近を少し散策してみました。
数多くのアジサイが咲いている季節だったのです。
公園の一角には、こんな歌碑もありました。
奈良時代の船王(ふなのおおきみ)による『眉のごと 雲居に見ゆる 阿波の山 かけて漕ぐ舟 とまり知らずも』という歌。
海上から眺めて眉(まゆ)のように美しいと讃える歌が、万葉集に収められているそうです。
ここから西の方に目を向けると、もう山、山、山といった景色。
本当に、四国が山だらけということをあらためて実感しました。
それから、こんな円錐形のドーム型のパゴダ(仏塔)も印象的でした。
昭和33年(1958年)に、ビルマ戦線での戦友をしのんで建立された平和祈念塔だそうです。
白亜に輝く姿が、荘厳さを感じさせてくれました。
これらだけでなく、様々の見所がある眉山公園でした。
もう1時間半くらいすれば、徳島の夜景が楽しめるのも分かっていましたが、その前にロープウェイで下山しました。
最後に、眉山を早めに下山した理由について、簡単にご紹介します。
それは、単純に夕食を食べる為。できれば徳島の名物を。
ホテルには、和食料理の「びざん」というレストランがありました。
これは、阿波尾鶏(あわおどり)のパリパリ焼き。洒落も効いているんですね。
更に、阿波尾鶏とトマトのしっとりチキンサラダ。
夫婦で鶏尽くしでした。ちなみに、隣のお椀はそば米汁。これも、徳島の郷土料理。
それぞれ、徳島を感じながら、美味しくいただきました。
次回から、吉野川の上流へと向かいます。
Tokushima castle & Mt.Bizan, Tokushima, Japan
この記事へのコメント
徳島城跡ですか、ここは行ったことが有りませんでしたが、色々と見所が多いですね。歴史に興味を持つと新たな目線で観光出来て良いですね。
私は阿波踊りの時季に行ったこともあり、阿波踊りと瀬戸内の海で泳いだことくらいしか記憶に有りませんでした。ww
城山の麓には貝塚もあって、太古の昔はここまで海が来ていたと言うのも驚きです。
阿波尾鶏、美味しそうですね。それにしても、阿波尾鶏と阿波踊り、引っ掛けているのでしょうが、どちらが先だったのでしょう? やはり、阿波踊りが先でしょうか?w
先日事故のあった松山城も街中でしたが、
お城を中心に発展した城下町の姿が、
今もその姿を留めてる事がよく分かるように
思いました。蜂須賀さん、港区三田に立派な
洋館を構えてたんですけど、オーストラリア大使館の
敷地になって今は残って無いのが残念です。
先日、港区郷土歴史館を訪ねたところ、
蜂須賀邸のステンドグラスが保存されてたので、
ちょっと感激しました。戦国~江戸期を生き抜いて、
長く続いた家柄なんですね。眉山からの眺めも見事です。
と言うか、実は徳島は大歩危小歩危とかずら橋しかないんです(^^;)
徳島市内だけでも色々と見所が多いようで、歴史に興味がある方にはピッタリですね
阿波尾鶏は偶然近所のスーパーでだいぶ前から販売されていて何度も食べた事ありますが、とても美味しい鶏だと思っています
眉山頂上からの眺めも良いですね
歴史好きの連れといつか行ってみたいです(自分は徳島ラーメン目当てで)
木製の太鼓橋なら?猶更でしたね。今は花崗岩製の石橋。
蜂須賀小六なら耳覚えがあります(^o^)丿
徳島はご縁がなく、出かけたことがありません。
香川と愛媛は参りましたが・・・
眉山なら飲み屋さんに行きました。ここ縁なのでしょうね。
阿波尾鶏、美味しいですよね~
近くにあったファミレスで良く戴いてました。
そこが無くなってから久しく食していません。
徳島城という事で城主は蜂須賀氏かなと思ったのですが、やはりそうでした(^^)
徳島藩の藩祖は太閤記で知られている小六ではなく、子の家政なんですね。
徳島城博物館には藩ゆかりの品々が展示されているのですね。このような博物館を見て回るのも面白そうです。
眉山からの展望、鳴門海峡大橋も望めるのですね。
そしてホテルのお料理、阿波尾鶏(あわおどり)という料理があるのですね。阿波踊りの季節だと「阿波踊りを見に行って阿波尾鶏を食べた」なんてこともあるわけですね~(^^)
徳島城のことはほとんど知りません。蜂須賀氏がおさめたお城なんですね。蜂須賀小六の名は知っています。豊臣、徳川と戦国時代をうまく生き抜き、25万7千石とは大したものですね。城山からの眺めは良いですね。海を見渡せる要所にお城はあったのですね。
眉山の頂上からの眺めも素敵です。徳島の市街地、紀伊水道、淡路島とよく見えます。夜景も綺麗でしょうね。
阿波尾鶏のパリパリ焼き、阿波踊りにかけて洒落が効いていますね。鶏ずくしのお料理美味しそうです。
2020年の11月に、友達と四国9城巡りのツアーの旅で
徳島城跡へ行きました。思い出して懐かしかったです。
一緒に行った歴史好きの友達がとても喜んでいました。
眉山も素敵です、徳島の市街地や海がきれいですね。
昔ですが「眉山」と言う映画を観たことがあります。
素敵な映画で、主演の松嶋菜々子さんと眉山が美しかったです。
お天気にも恵まれて、お料理も美味しく良かったですね。
徳島の城趾、知りませんでした。
西のほうは深い歴史がありますね。
眉山といえばボクはさだまさしさんの小説を思い出します。この風景を見てから物語を読むと、よりリアリティを感じられるかもしれないと思いました。
阿波尾鶏、おいしそうです。
今はすっかりビルに囲まれているんですね。
池泉庭園の青石は清澄庭園にも使われていました。
岩城家が全国から名石を取り寄せたそうですから。
10mもあるなんて凄いですね。
眉山には私も行きました。
阿波踊り会館の5Fからロープウェイが出ていたんですね。
お天気が良さそうで、素晴らしい眺めが堪能できましたね。
当時をしのんでいますね。
眉山からの眺めもいいですね。昔、松嶋菜々子さんが出演した映画に「眉山」がありました。
徳島に入ったことはありますけど
中心には行かず、ましてや徳山城址などは知りませんでした💦
今、全容が見れたら、どんなにかよかったことでしょう。
眉山からの眺望もよく、山々の連なりが美しく
以前四国一周を車でした時に、トンネルの多さに
四国の山の深さを想いました。
徳島城跡、も行きましたが大分記憶が薄れていましたが
記事を拝見して蘇ってきました。
徳島城、眉山、阿波踊会館を巡ったように記憶しています。
綺麗な徳島城の庭園も、周りのビル群が写り込んで、少し残念な気持ちになりました。それは東京でも言えることですが。( ^_^)
日帰り旅行でしたが、徳島市内の観光スポットは充分に巡れたように思います。
1週間ほど入院した病室から写した1枚を思い出しています。
徳島城跡は、それ程有名ではないですよね。
とはいえ、江戸時代を通してずっと蜂須賀氏の居城でした。
今残っているものは少ないですが、博物館やお城の遺構でかつての様子を想像して巡りました。
私も徳島訪問は、うん十年前の阿波踊り見物以来。
その時、見上げた、眉山にも昇れて嬉しかったです。
阿波尾鶏、徳島の特産でもありますね。
名前は、やはり踊りが先ではないでしょうか。
蜂須賀小六の息子が徳島藩の藩祖となりました。
豊臣家は滅びましたが、蜂須賀家は明治まで残ったのですよね。
その一家は、11代将軍、家斉の息子が藩主となり、将軍家の血筋となりました。徳島城は、平山城。城山にもいろいろと建造物が建っていたことでしょう。
一方で、阿波のシンボル的な山、眉山からの眺めは気持ちよかったです。
そこから見下ろす城山の景観も何ともいえません。規模感がよく分かりました。定番の阿波尾鶏は美味しく頂きました。
私が訪れたのは鳴門だけで徳島市内は郊外の道の駅に寄ったくらいで宿も別だったと記憶しています。
なにせ、都市の中には交通安全のため極力入らないようにしています。
なので中心部に何があるかはチェックしていませんでした。
秀吉の物語に出る蜂須賀小六の流れをくむ場所だったのですね。
城下町とも知りませんでした。
それでも四国では松山城や丸亀城には行きました。
徳島城跡は、JR徳島駅の真裏にありました。
かつてのお城を中心に街が発展したのでしょう。
特に、商業地は駅前から眉山に進む道沿いや新町川沿いにに広がっていたそうです。眉山の上から、そんな街の広がりが見えて興味深かったです。
蜂須賀家の邸宅は、港区三田にありましたか。
今は、オーストラリア大使館の敷地なのですね。
港区郷土歴史館に蜂須賀邸のステンドグラスが保存されているとは。
戦国時代にのし上がって、明治まで続いた名族のひとつですね。
はい、私も今回初めて徳島城跡を訪れました。
前回は、阿波踊りだけだったので。
今は、歴史的なお城は全部見たいので、当然徳島城跡も回りました。
ほとんど当時の建造物は残っていないので、博物館の展示で当時の様子に思いを馳せました。表御殿庭園が、まさに大名庭園でした。
なんと、阿波尾鶏が、横浜の近所のスーパーで売っているのですか。
確かに、柔らかでコクがあって美味しいですね。
眉山頂上からの眺め、西日に照らされた街の景観が素敵でした。
徳島城の下乗橋、籠などの乗り物から降りる場所だったとのこと。
木製の太鼓橋から、今は花崗岩製の石橋。様子が変わっていますよね。
蜂須賀小六の名前は有名ですよね。ただ、その子孫はあまり知られていないかも。名族として明治まで残ったのです。
徳島へ行かれてないですか。
とはいえ、眉山の名は、よく知られていますよね。
阿波尾鶏、よく食べますか。ファミレスも食べられますか。
柔らくてジューシーで美味しいですね。
徳島城は、蜂須賀氏の居城。
藩祖は太閤記でよく知られた小六ではなく、その子の家政なのですね。
しかも、初代藩主は更にその子の至鎮です。
しっかりと世代交代が行われたいたことが分かります。
当時のものはほぼ残っていませんので、徳島城博物館の展示でかつてのお城の様子を思い浮かべました。
一方で、眉山からの展望は、なかなか素晴らしい。
徳島の街全体と鳴門海峡や淡路島も望めて嬉しかったです。
阿波尾鶏という鶏の品種。徳島の定番をたっぷり食べられてよかったです。
そうですね、徳島城はあまり知られていませんね。
それでも、蜂須賀小六は有名ですよね。徳島藩は、その子孫が継いでいったのです。確かに、世代交代をしながら、激動の戦国時代から江戸時代をよく生き抜いたと思います。
その城の城山からは、海を見渡せたはず。
更に、眉山の頂上からの眺めも素晴らしかったです。
徳島の市街地、紀伊水道、淡路島と見渡せて気持ち良かったです。
阿波尾鶏は、洒落が効いた名前ですが、徳島名産の美味しい味でもあります。
なんと、20年に四国9城巡りのツアーの旅をされてましたか。
その中の、徳島城跡はやや目立たない存在だったかもしれません。
とはいえ、名族、蜂須賀家のお城ですから、当時は立派だったはずです。
それから、眉山からの眺めも素晴らしかったです。
確かに、松嶋菜々子さん主演の「眉山」という映画がありましたね。
ご覧になりましたか。
この映画を見ていたら、ここへ来てもっと感激したでしょうね。
徳島城跡、そんなに知られていませんよね。
当時の建造物はほぼ残っていませんから。
それでも、名族、蜂須賀家のお城。かつては立派なお城だったはず。
それを博物館の展示で想像しながら巡りました。
「眉山」は、さだまさしさんの小説であり、映画にもなりましたね。
ただ、私はどちらも読んだり見てなくて、、。
これからでも、読んだほうが良さそうですね。
はい、徳島城跡が徳島駅のすぐ裏にあります。
お城を中心に徳島の街が発展していったことがよく分かりました。
もちろん、かつては城下町も広がっていのでしょう。
今はすっかりビルに囲まれていますが、それが眉山の頂上から見えて興味深かったです。
池泉庭園の青石は清澄庭園にも使われていましたね。
私も思い出しました。それでも、10mもある石は圧巻でした。
やはり、眉山にも行かれましたか。
梅雨でしたが、天気に恵まれて、素敵な眺望が望めて嬉しかったです。
はい、徳島城は日本百名城の1つ。
ただ、当時のお城の建造物はほぼ無く、博物館の展示でかつての姿を想像しました。
一方で、眉山から見下ろして、ビルに囲まれたお城を眺めて、感慨に浸っていました。松嶋菜々子さん主演の映画に「眉山」。
観ておけばよかったなと思いました。
確かに、徳島に行っても徳島城跡へ行かないかもしれません。
あまり知られていませんね。蜂須賀の立派なお城だったはず。
その全体規模が、眉山の頂上から眺めることができて嬉しかったです。
まあ、ビルに囲まれていますが。
一方で、西をのぞむと山々の連なりが美しかったです。
四国の山の深さを実感しました。
やはり、以前に徳島城跡にも行かれましたか。
全国津々浦々、本当にいろいろと行かれていますね。
私のブログ記事で、少しでも徳島城を思い出すきっかけになったなら嬉しいです。
そうですか、京都から徳島まで日帰りで出かけましたか。
徳島城、眉山、阿波踊会館。今回、私も巡りました。
確かに、徳島城の表御殿庭園は周囲にビルが見えて、それを避けて撮影しました。まあ、県庁所在地のど真ん中ですから仕方がないでしょう。
手軽に行けるのがいいですね。
1枚目の写真、褒めていただき嬉しいです。
実は、これは夕日を浴びた駅ビルの高層ホテルを写した写真でした。
雨が多かったので、日が照っている時期を撮影したのです。
1週間ほど入院してましたか。どうぞお大事にして下さい。
前回徳島へ行かれた時は、鳴門だけで徳島市街は観光されなかったのですね。
確かに、鳴門の方が観光スポットとしての見所は多いような気がします。
私は、レンタカーで都市の中に停めていました。
はい、徳島城は、秀吉を支えた蜂須賀小六の子孫のお城だったのです。
意外に知られていませんよね。
つい、阿波おどり・・ということに
なってしまいます。
立派な城趾があるのですね。
恥ずかしながら知りませんでした。
巨木が印象的ですね。
そうですね、徳島城はあまり知られてないと思います。
やはり、天守は無いですし、当時の建造物もほとんど残っていません。
あくまで城跡ですね。
そんな当時のお城の姿の証人である「竜王さんのクス」、今なお、倒れながらも存在感を示していました。
帰省の道中に寄ったのだと思います。
ミクミティさんの記事を拝見していて、徳島城、蜂須賀小六、青石、眉山の言葉が繋がってきました。
徳島藩の藩祖は蜂須賀小六ではなく蜂須賀家政だとは忘れていたのか、知らなかったのか?改めてそうなんだと思いました。
我が家の旅行の企画担当は夫でして、昔はお城は特に付き合ってる感が強くて。
ミクミティさんのように下調べをしっかりして、興味を持って丁寧に見て回って、帰ってブログ記事にまとめる。これはとても素晴らしいことですね。
私もブログ記事を書くようになって、少しだけ見方が変わってきました。
四国は山だらけ、そうなんです。狭い四国に西日本で一番目と二番目に高い山があるくらいですから。
以前、ご主人と一緒に徳島城へ行かれましたか。
私の記事で懐かしく感じていただければ光栄です。
徳島藩の藩祖は蜂須賀家政。蜂須賀小六は、秀吉が全国統一する前に亡くなっていますからね。
小六の子や孫が、上手く秀吉と家康の時代を乗り切ってきたのだと思います。それが阿波と淡路2か国を治める徳島藩を生んだのですね。
眉山から西を眺めて、本当に四国は山だらけ、と実感しました。