現代の「アクアイグニス仙台」から古代の史跡「多賀城跡」へ
令和6年(2024年)ゴールデンウィークの仙台旅行、私は前回ご紹介した大渋滞の蔵王ドライブの後、一気に宮城県の海岸沿いへと車を走らせたのです。
蔵王で想定外に長い時間を取ってしまい、その後どこに行こうか迷いましたが、妻が行きたいという比較的新しい仙台市のスポットを訪ねることに。
そこは、仙台市東部の沿岸部にある若林区藤塚(ふじつか)地区の田園地帯。
令和4年(2022年)にオープンした複合商業施設「アクアイグニス仙台」です。
お洒落なレストランにカフェやマルシェ、更に温泉が入った施設です。
真新しく洗練されたモダンな建物に池が配置されて。
それなりに賑わっていましたが、それ程混んでもおらず。ここは穏やかな空気を感じる場所でした。
妻は、あっという間にどこかの店舗に消えてしまい、私は外観の撮影を。
「アクアイグニス」はラテン語で「水」を意味する「アクア」と、「火」を意味する「イグニス」を組み合わせた造語だとか。
すなわち、温泉や料理をコンセプトとする施設ということが伺えます。
更に、敷地の一角の高台にはこんな鹿のオブジェが。
かつて、鹿が傷を癒す温泉をイメージして、水と火の形象を現わしたという鹿の角が、アクアイグニスのシンボルマークなのだそう。
こんなところにも洗練された雰囲気を感じます。
実際、数名のアートダイレクターやインテリアコーディネーターが建造に携わっているとか。
ここは藤塚地区。低層の建物の周囲にはフジが植えらて藤棚に囲まれた造りになっています。
温泉施設の名前も「藤塚の湯」、そして、ここのレストランのひとつは「グリーチネ」、イタリア語で「フジ」を意味するとか。
季節はゴールデンウィーク、実際にフジの花がとても綺麗だったのです。
レストランも有名シェフがプロデュースした店が並びます。何とも現代的で粋なところですね。
ただ、私が「アクアイグニス仙台」で何よりも興味があったのがその立地でした。
向うに見える芝生が盛り上がったような場所。何だか分かりますか。
一瞬、古墳のように見えるのですが、あれは「避難の丘」といいます。
はい、津波の避難場所なのですね。この辺り一帯も平成23年(2011年)の東日本大震災による津波で大被害を受けたそうです。
実は、「アクアイグニス仙台」は震災後の防災集団移転促進事業の対象地に建てられた施設だったのです。
当然、この屋上も避難施設でもあり、妻が徘徊中、私は屋上の避難場所兼、展望台にのぼってみました。
海沿いの防潮堤の向こうに太平洋をのぞみ、緑広がる景色は一見、気持ちの良いものでした。
とはいえ、よく見ると手前には簡素な社が建っています。これは平安時代からの由緒があるという五柱(ごちゅう)神社の再建。
神社もろともこの辺りの集落は津波で全部流されてしまったのだとか。
少し左手の方角には、まばらな松の木が生えています。こちらも松の木が生い茂る防砂林であったことでしょう。
自然災害の恐ろしさや津波の威力の凄まじさを感じながら、この景観をしばらく眺めていました。心を揺さぶりますね。
さて、その後、我々は令和のまさに「現代の仙台」を感じるスポットから、一気に時代をさかのぼり「古代の東北」の面影に触れる場所へと移動。
それは、途中、震災遺構の仙台市立荒浜小学校を眺めながら、東部復興道路を北上するドライブでした。
そして、30分程走って着いたところには、丘の上に建つ立派な門の建築が。
ちょうど建設工事中でしたが、これがお復元された城の南門だそうです。
どことなく奈良時代や平安時代の寺院のようなたたずまい。
それもそのはず、ここは奈良時代の神亀元年(724年)に朝廷の陸奥(むつ)の国府があった場所。
すなわち、古代日本における「北の都」だったところなのです。近くには、こんな標柱がありました。
「史跡 多賀城跡」と刻まれています。
多賀城という名の通り、奈良時代には朝廷の軍事的拠点であった鎮守府(ちんじゅふ)も置かれたといいます。
有名な観光スポットではありませんが、歴史好きなら訪れたい日本百名城の一つに指定されています。
戦国時代ではない、古代の城ということです。
その中心である政庁跡に向かう南大路(みなみおうじ)跡。
南北真っすぐ伸びる広い通りの先には、石段があって高台へと繋ぎます。
向うに行ってみたくなりますね。こんな坂道は、歴史ロマンを感じさせてくれます。
登ったところに何があるのか、ワクワクしながら。
そこにあったのは、緑の森が切り拓かれたような広い平地の敷地。
今は、かつての建造物の礎石や遺構だけが残る史跡となっています。
ここが、奈良時代から平安時代まで、東北の中心といえる場所だったとは。
こういう史跡は以前訪れたことのある大宰府政庁跡に非常によく似ています。
近くに、こんな復元模型があって当時の様子をイメージさせてくれます。
これは、8世紀後半の政庁を推定して復元したものだそう。
大宰府は大陸からの侵入に備えた九州の政治・軍事の拠点でしたが、ここ多賀城も東北で強力な武力を誇った蝦夷(えみし)に備えた拠点だったのですね。
更に、こんな絵入りの大きな説明パネルもあって、古代の都の政庁南門の姿をおしえてくれます。
非常に分かり易い展示方法だなと思いました。
その奥の中央には、一段高くなった立派な石の枠組みがありました。
ここが多賀城政庁の中核である正殿の跡。
手前には石敷きの広場があったといわれます。その跡もありますね。
やはり、大きな説明パネルで当時の姿を見せてくれます。
大規模で立派な正殿、当時の朝廷の権威を見せつけるものだったでしょう。
その他にも数々の建造物があってその礎石が残されています。
当時の繁栄が伺われます。
この多賀城に、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)も、源頼義・義家父子も訪れたことでしょう。
大地震の被害も受け、復興された歴史もあったそうです。
航空写真のパネルもありましたが、古代の一時代を築いた地の貴重な史跡であることを感じました。
多賀城は、11世紀中旬まで朝廷の東北における拠点として存続。
その途中から、北の軍事拠点は、胆沢城(いさわじょう)や秋田城など更に北へと移され、時代は奥州藤原家の平泉へと向かったのですね。
杜の都「仙台」が築かれるずっと前の歴史です。
それから、政庁跡前から振り返って、一直線の南大路を一望しました。
惚れ惚れする景観でした。
あまり知られていないと思いますが、多賀城跡は、奈良県の平城京跡、福岡県の大宰府跡とともに日本三大史跡のひとつなんて言われているそう。
令和になった現代でも、着々と史跡の整備や工事を行っており、今後はもっと知られる歴史名所になるのではないかと感じつつ、この地を後にしました。
最後に、この史跡 多賀城跡で見つけた華やかなものを簡単にご紹介します。
ここは礎石や遺構ばかりで、派手な印象は無いですが、桜の木が多く桜の時期にはとても綺麗でしょう。
私が訪れたのはゴールデンウィーク。そこで目を引いたのはツツジでした。
政庁跡を囲む新緑の脇に、鮮やかな色で史跡を彩っていました。
古代の歴史に思いを馳せながら、ツツジの美しさにも魅せられました。
この日は、こんなふうに現代の仙台を象徴する「アクアイグニス仙台」と、古代の陸奥国の面影を残す「多賀城跡」と連続で巡ったのでした。
さて、次は宮城県最大の観光名所をレポートする予定です。
Aquaignis Sendai & Tagajo catle ruins, Miyagi, Japan
この記事へのコメント
全く知りませんでした
多賀城には兄貴のような先輩がいるので、いつかチャンスがあったら寄ってみたいです
そういえば多賀城って名前に城が付いているから昔城があったのかな?ぐらいは思いましたが、よく考えると何も多賀城の事は知りませんでした
多賀城と言えばキリンビール工場ぐらいしか思い浮かばなかったけど、実際は最寄りの駅が多賀城ってだけで、住所は仙台市になるんですよね(^^;)
あっ、イオンがありましたね(笑)
次回は宮城最大の観光名所ですか?
どこだろう、気になるなぁ・・・
多賀城跡、懐かしく拝見しました。
私が行った時は南王路は舗装されていなかったと記憶しています
建物の礎石と模型で当時の様子を想像しました。
藤棚もあって、季節的には良かったですね。
敷地内に津波の避難場所があるとは驚き‼
仙台でこれですから、関東平野では至る所に設置の必要がありそう。
復元模型はとても分かりやすく、古代の都の政庁南門の説明もいいです。
ツツジで締めくくる所が良かった。
次回「宮城県最大の観光名所」楽しみにしています。
アクアイグニス仙台はモダンな建物に池、温泉や商業施設と広々として気持ちのいい場所ですね。周りのフジもちょうど見頃、綺麗です。避難用の高台「避難の丘」も設けられて、津波の教訓が生かされていますね。屋上からの広々とした風景は気持ちが良いですが、自然災害の恐ろしさも伝わってきます。
多賀城跡は日本三大史跡のひとつとは知りませんでした。復元された城の南門が立派ですね。パネルの説明版があって往時の様子がしのばれます。史跡の整備や工事を行なわれているようですが、正殿も復元されるのでしょうか?
ツツジが新緑の中に色鮮やかに咲いていますね。桜もたくさんあるとのこと春も綺麗でしょうね。
「避難の丘」が設けられている事が
印象的でした。少しでも高く、大勢の人が
逃げられるようにというのは、東日本大震災の
大きな被害から得られた教訓によるものでしょう。
史跡・多賀城跡は、イメージの膨らむ場所だと
思いました。陸奥国府が置かれた古代日本の
北の中心地。しかも、防衛の拠点であり、
昔の国境地帯でもあった事を思うと、何だか
礎石の一つ一つにも親しみが感じられて来ますね。
建物の前の浅い池、流行りですよね~
上野の東博の法隆寺宝物館など、魅力的です。
藤の花が見頃の時でしたか。
「避難の丘」一見、美ヶ原かと思いました。
東日本大震災による津波で災禍した場所なんですね。
陸奥の国府があった場所で何となく繋がりを感じました。
さすがに歴史のロマンが広がりますね~
ツツジの花も大規模に咲いてとても綺麗でしたね。
モダンンなアクアイグニス仙台から多賀城跡へと・・・
奥様の興味にもお付き合いしながら
ミクミティさんの詳しい史跡見学まで
古代日本における「北の都」だったのですね~☆
いにしえに思いをはせる素敵な時間ですね。
絵付きの説明パネルで、さらに想像が膨らみそうです~☆
観光としてだけの利用であればと願います。
千葉は、そういう避難場所やタワーなど整備されていないのが残念で、自助努力しないといけなさそうです。
多賀城跡は バーチャルで見ることができれば楽しいでしょうね。
梅雨独特の蒸し暑さになっています。
仙台にお出かけも奥様はアクアイグニス仙台へ
ミクミティさんは歴史を満喫されましたね。
孤高の鹿の像、凛としていいですね。
鹿の角のロゴと藤塚の藤が良く似合っています。
城跡を楽しみ藤とつつじを楽しまれ良い旅でしたね。
立派な角が印象に残りました。
余談ですが鹿の角って切られた後少し大きくなるまで
温かいって私は奈良の鹿で知りました。
手触りは人間のいがぐり坊主の様な感触でした。
人慣れした鹿は可愛いですね。
アクアイグニス仙台、温泉やお食事、お買い物色々と
楽しめますね。多賀城跡、緑も多く素敵です。
ご夫婦それぞれで、楽しまれましたね。
現代と古代を巡る旅、満喫されましたね。
「史跡多賀城跡」の城の南門、最初見た時に平城京跡の朱雀門に似ているなあと思ったのですが、奈良時代の国府のあった場所なんですね。そうだとすると似ているのは当然ですね。
そしてここは平城京跡、大宰府跡と並んで日本三大史跡なんですね。
ぜひ、行ってみたいですね。
大震災後に建てられたのですか。
フジが綺麗に咲いていますね。
それだけなく、奈良時代の北の都だったとは。
広々とした所に遺跡が残されているんですね。
タイムスリップしたような感じもします。
>アクアイグニス仙台
大きな震災被害があった場所は、このように生まれ変わったのですね。
人間の回復力はすごいですね。
アクアイグニス仙台、温泉と料理ですか。料理は兎も角、温泉と言うと興味が湧きます。w
仙台も東日本大震災では大被害を受けましたから、新しい商業施設を作る際にはやはり津波対策は必須ですよね。でも、それが古墳みたいで良い味を醸してますね。
多賀城跡は、日本三大史跡の一つなんですか。まだ行ったことが無かったですが、そうと聞いただけで是非行って見たくなります。
しばらくblogを休止していましたが、ようやく再開することができました。
もしよろしければご覧ください。
えっ、多賀城いまこんな感じになっているのですか!
僕はたしか5~6年前に訪れましたが、そのときは復元建物なんてまったくありませんでした。
ひねくれ者の感想ですが、復元しすぎると逆に興ざめになってしまうので、ほどよい復元を心がけてほしいですね。
先ず、日本三大史跡のことは知らなかったです。平城京跡は行ったことがありますが・・・。
まだ、東北に足を踏み入れてないので、多賀城も行ったことがありません。100名城に指定されているので、知ってましたが、いつになるか分かりませんが、登場時の参考にさせて貰います。( ^_^)
はい、アクアイグニス。私も今回初めて知りました。
そこから、多賀城へ。仲良い先輩が住んでいる場所でしたか。
ここは現在でも市ですからね。
キリンビールの工場があるのは気が付きませんでした。
私としては、史跡としての多賀城に興味があって足を運んだのです。
戦後時代になると、名前を聞きませんよね。
古代の東北の拠点跡を見られて嬉しかったです。
次は、江戸時代から人気の名所です。
そうですか、多賀城跡、懐かしく感じられましたか。
やはり車旅で行かれたのですね。
その頃は、まだ南大路が舗装されてなかったですか。
まだ、整備の途中だと思いますが、着々と遺跡を魅力的にしようとしているなと感じましたよ。
はい、仙台市の藤塚地区にできた「アクアイグニス仙台」。
2年前にオープンしたまだまだ新しい名所です。
藤棚も綺麗で、素敵な時期に訪れることができました。
すぐ近くにある津波の避難場所。やはり緊迫感を覚えました。
一方で、多賀城の復元模型はとても分かりやすかったです。
古代の都のイメージが現場の絵で湧くのはいいことですよね。
次回は、日本三景で有名な所です。
はい、アクアイグニス仙台は、とってもモダンでお洒落な感じでした。
建物に池、温泉や商業施設など、現代的な施設です。
フジ棚に彩られる様子も魅力的でした。
その近くに、「避難の丘」があって、痛々しさも感じました。
屋上からの風景は気持ち良かったです。とはいえ、自然災害の恐ろしさも感じましたよ。
多賀城跡が日本三大史跡とはあまり知られてないですよね。
復元された城の南門が当時の入口のイメージを膨らませます。
パネルの説明も分かり易かったです。
今後も史跡の整備が行われると思いますね。
この時期は、新緑とツツジの彩りに、心惹かれました。
そうですね、近代的な商業施設のすぐ隣ある「避難の丘」。
大きな自然災害の名残りを感じさせます。緊張感も覚えました。
東日本大震災の被害も想像してしまいました。
一方で、史跡・多賀城跡は、歴史ロマンがありますね。
陸奥国府は、都から離れていますが、必死に日本という国を維持しようという先人たちの意気込みを感じたりしました。
多賀城という響きも、当時の人達の願いを感じます。
はい、「アクアイグニス仙台」まだ新しい複合施設。
建物の前の浅い池などは、洗練されたイメージを与えてくれます。
建物周囲を彩る藤の花が見頃でした。ここにもセンスを感じましたよ。
でも「避難の丘」には、心が痛くなりますね。大事なことだと思います。
東日本大震災による津波で被害はいくばかりか。はかり知れません。
一方で、陸奥の国府があった多賀城の跡。
残っているものは少ないですが、古代の歴史ロマンを感じる場所でした。
はい、まだ新しいモダンなアクアイグニス仙台から多賀城跡へ。
妻の興味も尊重しつつ巡る旅です。全く趣味が違うのですよ。
そこから、古代の史跡 多賀城へ行くのは、完全に私の趣味ですね。
古代日本の「北の都」なんて、なかなか想像がつきません。
今回行けてイメージが湧きました。
やはり歴史ロマンのあるところでしたね。
アクアイグニス仙台。その避難場所は、実際の被災した体験を踏まえたものですよね。その被害の凄まじさを想像してしまいました。
今は、市民の憩いの場であり観光スポットでもあります。
千葉には、避難場所やタワーなど整備されていないですか。
それは神奈川も同じだと思います。
確かに多賀城跡は、バーチャルで見られるといいですね。
どんそん、蒸し暑くなっていきますね。
今日の関東は、一日中雨でした。そういう季節ですね。
GWの仙台旅行の時に、アクアイグニス仙台へ訪れました。
孤高の鹿の像に、鹿の角のロゴ、お洒落な感じでした。
ここは洗練された場所でもありました。
一方で、古代の城跡、多賀城跡。
残っているものは少ないですが、古代ロマンを感じるところでした。
鹿の角が切られた所を触ったことがあるのですか。
それは、なかなかできませんね。貴重な体験です。
はい、アクアイグニス仙台、温泉やお食事を楽しめる新しいタイプの複合施設です。令和の観光スポットでもありますね。
そこから、がらっと変わって古代の史跡へ。
そんな歴史ロマンのある多賀城跡にも触れて見たかったのです。
当然、私の趣味ですが。
まさに現代から古代へと遡る旅でした。
はい、アクアイグニス仙台は洗練された造りで、おしゃれな雰囲気の場所でした。女性には人気があると思いますよ。妻はガイドブックを見て知ったようでした。
一方で、多賀城跡は私の趣味。地味な史跡ですが、古代の歴史ロマンのある場所でした。多賀城出身の知り合いがいましたか。
今は普通の市のようにも思えました。
はい、「史跡多賀城跡」の城の南門、平城京跡の朱雀門に似ていますよね。
そういう時代の建築があったはず。
北のはずれにそういった都があったことが、凄いことですよね。
奈良時代の陸奥の国府。朝廷の前線基地でもあったのでしょう。
ここが平城京跡、大宰府跡と並んで日本三大史跡とは今回知りました。
はい、アクアイグニス仙台はまだ2年前にできた新しいスポット。
東日本大震災の被害の場所に建てられたわけです。
建物の周囲に藤棚があって、フジが綺麗に咲いていました。
一方で、多賀城は奈良時代の北の都。
朝廷の前線基地でもあったのでしょう。
古代の歴史ロマンを感じる史跡でした。
はい、アクアイグニス仙台は、外観も造りも、しっかりと構想され練られた洗練された場所でした。名前もカッコいいです。
屋上は避難施設でもあります。そこから眺めて、東日本大震災の被害に思いを馳せました。
一方で、多賀城のことは聞いたことがあっても、ここが古代の史跡で、朝廷の拠点であったことは、あまり知られてないのかもしれませんね。
そうですね、アクアイグニス仙台は、津波被害の場所に建てられた複合施設。
洗練された雰囲気は、まさに生まれ変わったというイメージですね。
様々な人の努力や尽力のたまものなのだと思います。
はい、アクアイグニス仙台は、温泉とレストランが中心の複合施設。
お洒落で洗練されていて、まさの令和のスポットという場所。
ここが東日本大震災の被災地であり、そこに建てられたということを知って、是非訪れてみたいと思ったのです。
その近くの避難の丘は、古墳のような形状でもありました。
一方で、多賀城跡は、古代の都であり、日本三大史跡なんて言われているのですね。古代ロマンを感じる史跡でした。
ご無沙汰でしたね。ブログを休止しておりましたか。
はい、多賀城は様々な工事や整備が行わていて、それが進行中でした。
より見やすく、万人受けするようになるのではないでしょうか。
5~6年前と比較してかなり変わってきているのでしょう。
南大門の復元建物は、当時の時代を感じさせてくれます。
もちろん、復元によって遺跡の味を失うことがあるので、上手く整備して欲しいですね。
PCの調子が悪いですか、私もそういうことがあります。
なかなか、常に万全というわけにはいきませんよね。
上手く対応できるといいです。
私も、多賀城が日本三大史跡といわれることは今回初めて知りました。
平城京の時代に、大宰府と同じような拠点が来たのもあったのですね。
朝廷の北の最前線の城。
古代の城ですが、いつか足を踏み入れてみて下さい。
100名城でもありますので。
私が知らない場所ばかりですね。
多賀城が国府くらいか。
仙台市街地から東側は全部津波で破壊されているので今ではいろんな施設が建っているのかと再認識しました。
私は多賀城とかほとんど通ることはないので多賀城址は新鮮でした。
ご存じない所でしたか。確かに一般的にはまり名前を聞きませんよね。
被災地に、津波対策が備わったお洒落な商業施設を見るのは、何ともいえない感慨がありました。
一方で、多賀城跡へ行くのは歴史好きの人だと思います。
ここが古代の国府なんて、本当に歴史ロマンがありますよ。
多賀城と言えば
古くから短歌に歌われていて
津波にも何度も見舞われています
「末の松山」はとくに有名ですね
多賀城跡へ行きましたが、恥ずかしながら「末の松山」のことは知らず、足を運びませんでした。平安時代から短歌の歌枕になった言葉だったのですね。
津波も越えられない松。すなわち、津波が度々訪れたことを物語りますね。
あれ?「南門」・・・こんな立派な建物ありましたっけ?
「政庁跡」を見て、百名城スタンプを押して早々に次の目的地へ出発してしましました。
写真もあまり撮っていないので、まともに記事にできるかどうか心配です><;
そうですか、真っ先に多賀城へ行かれましたか。さすがです。
私はまず「南門」へ目が引かれましたよ。
ひょっとするとは、今は工事中で全体がカバーされているかもしれません。
一方で私は、百名城スタンプをもらいには行きませんでした。
ここで古代の歴史ロマンを味わいましたよ。
もう少しすると、更に整備されて見学しやすくなるかもしれません。