天気雨の降る荘厳な平泉寺白山神社とそこから大きなお城の天守

相変わらずバタバタしており、ブログのアップがかなり遅れてしまいました。
令和5年(2023年)8月、私の福井の旅のレポートは、今回でようやく最終回となります。
超大型の台風7号が日本列島を通り過ぎた8月16日、私は福井から横浜の自宅へ帰る予定でしたが、旅は終わらなかった。
そんな日のことを、これから綴りたいと思います。

福井県勝山市福井県立恐竜博物館を出て、昼食後に向かったのが、同じ市内にあるこちらの神社。
平泉寺白山神社1.jpg
神社と言っていいのでしょうか、その名は平泉寺白山神社(へいせんじはくさんじんじゃ)

その名は、いかにも、かつてここが歴史ある神仏習合の地だったことを示しています。

緑に覆われた精進坂と呼ばれる緩やかな石段の先に一の鳥居が建っています。趣たっぷりの参道ですよね。

その左手の石段の上には、これまた風情あるお寺が。平泉寺白山神社2.jpg
六地蔵と鐘楼の風景に和の趣を感じます。これは顕海寺(けんかいじ)という江戸時代のお寺。

平泉寺白山神社の長い歴史の中では、新しいお寺というべきでしょうか。

天正2年(1574年)に一向一揆勢によって、寺社の一帯が壊滅的に焼き払われた後の創建となります。

ここから更に精進坂を進みました。
平泉寺白山神社3.jpg
益々、深い緑の世界に突入していくよう。人も少なく静かな一本道です。

この地が、戦国時代までは日本有数の一大宗教都市だったとは、にわかに信じがたいですよね。

奥まで続く杉並木とともに、地面を覆う苔(こけ)が真夏ながら見事でした。

さすが、「苔宮」とか「苔寺」といわれるだけあります。
平泉寺白山神社4.jpg
引き続き、緩やか~な勾配を登っていきます。ここが白山連峰の麓だということを感じながら。

小雨が降っていましたが、急に日光が差し込んできて「天気雨」に。神々しい雰囲気でした。

参道に左手に、白山神社の社務所がありました。
平泉寺白山神社5.jpg
この奥に、苔の庭として知られ、室町幕府の管領、細川高国の作庭と伝わる旧玄成院庭園(きゅうげんしょういんていえん)がありますが、私は参道を進みました。

すると少し先の左手に、深い緑に囲まれた池が現れます。
平泉寺白山神社6.jpg
これが御手洗池(みたらしいけ)。この池こそ、平泉寺(へいせんじ)という名の発祥となった伝説の池。

奈良時代初め、白山を開山した泰澄(たいちょう)大師が女神に招かれてこの池に訪れたとされます。更にここから白山を登拝。

その女神を祀る祠を池のほとりに建てたのが、白山神社の創建となるのだとか。なかなか神秘的です。

参道の右手には八幡神社の祠がありました。
平泉寺白山神社7.jpg
こちらも何とも厳かな雰囲気。日差しはありますが、まだ雨が降っていて。

そして、しばらく歩くと二ノ鳥居が参道の正面に見えてきます。
平泉寺白山神社8.jpg
神仏習合に特徴的な両部鳥居(りょうぶとりい)という形式で、前後に控え柱があります。扁額(へんがく)を守る屋根が付いているのも独特。

その扁額には「白山三所大権現」と記されています。
平泉寺白山神社9.jpg
白山信仰の一大拠点だったことが伝わってきます。この鳥居も一向一揆で焼失したものの、江戸時代の安永6年(1778年)に再建されたそうです。

二の鳥居をくぐると真正面に、シンプルな造りながら風格のある立派な拝殿が見えてきます。
平泉寺白山神社10.jpg
こちらも非常に神々しいたたずまい。厳かな気持ちになりました。

江戸時代の建設ですが、焼失前は幅83m(46間)もあった巨大なものだったとか。やはり日本屈指の壮大な中世の信仰拠点だったのでしょう。

室町時代の最盛期には、社領9万石を有し、48社36堂という圧倒的な数の伽藍があり、6000もの坊院が建ち、8000人もの僧兵がいたなんて。

今は、杉の大木の中の苔に覆われた地に、小さな祠が幾つか建ち並びます。
平泉寺白山神社11.jpg
その静けさからは、当時の繁栄は想像を絶します。

越前朝倉氏の一乗谷の繁栄といい、曹洞宗大本山として発展した永平寺といい、当時の越前には大きな勢力圏が幾つもあったのですね。そこへ一向一揆が圧倒するようになり、信長勢が制圧して。激動の時代だったはず。

今回、訪れたのは平泉寺白山神社の広大な境内のほんの一部。実際、現在までに発掘されているのも、最盛期の敷地のごくわずかだそう。本当にはかり知れません。

そんなことを想いながら、簡単にお参りをして帰途に付きました。ちょっと時間を気にしていたのです。
平泉寺白山神社12.jpg
天気雨がまだ少し降っていましたが、かなり弱まってきました。

これは、台風7号が日本列島から遠ざかっているのことを物語っていたでしょう。

帰りがけに目を引いたのは、まずこの常夜灯
平泉寺白山神社13.jpg
その名の通り、かつては毎晩あかりが灯されていたとか。この傘の上に小石を投げて、そこに乗っかると願いが叶うとされたそうです。

今、その傘の上は、苔でいっぱいですね。

それから、前述した平泉寺白山神社を開いたという泰澄大師の供養塔もありました。
平泉寺白山神社14.jpg
こちらの石垣と石段の奥に、3重の石塔や自然石にようる供養塔がありました。

これらは、一向一揆に破壊される前の室町時代のもの。わずかに残る貴重な史跡なのですね。

近くには、あの東尋坊(とうじんぼう)の地名の由来となった、僧の東尋坊の屋敷の井戸の跡がありました。
平泉寺白山神社14-1.JPG
こんなふうに、短時間でしたが平泉寺白山神社の雰囲気に触れらたことが嬉しかったです。

正直、この頃、少し焦りを感じていました。早く福井駅に戻らなくては、、。

車に乗り込み帰路を急ぎました。
平泉寺白山神社15.jpg
とはいえ、平泉寺白山神社のすぐ近くにあったこんな大きなお城の天守も少しだけ眺めました。

これは、勝山城博物館。コンクリート製で本物の城ではありません。日本一高い模擬天守だそうです。

お濠も無く、田んぼの中に建っている様子が少し変ですよね。ただ、美しい建築ですので、外観を眺めつつ勝山市を後にしました。

福井駅に無事到着した後、レンタカーを返却。
平泉寺白山神社20.jpg
まだ8月でしたが、もう福井新幹線の駅はほぼできているようでした。

この時、私が気になっていたのは東海道新幹線の運行状況。前日は台風上陸で計画運休でしたが、この日は動くはずだったのです。

でも実際は、ダイヤは大幅に乱れ、東海道新幹線だけでなく北陸本線も大きな遅延が発生。もうこの日、横浜へは帰れないと実感しました。

福井駅の窓口に1時間程並び、特急と新幹線チケットの日時を変更。
平泉寺白山神社21.jpg
駅には、こんな2024年3月開通の福井新幹線をPRするパネルが幾つもありました。「春 花開くのは桜と福井県」とのこと。

ああ、福井新幹線があれば、北陸経由で無事に帰れたことでしょう。そんな思いもありました。



最後に、令和5年8月16日、福井から横浜に帰る予定を急遽変更して、途中のある都市のホテルを当日予約しました。

案の定、北陸本線は2時間程の遅れ。ようやく米原についても、東海道新幹線は米原駅には停まらず乗客は途方に暮れる状況。

そこで、我々が向かったのは、米原の近隣の駅でした。
平泉寺白山神社18.jpg
どっぷりと日が暮れてしまいましたが、駅前にはこんな立派な銅像があって、懐かしさを感じました。

どこだか分かりますか。

この日、旅程を一日延長して、この街に急遽泊まることができて本当に良かったです。

チェックインして夕食後、道路の向こうの小山にライトアップされた本物のお城
平泉寺白山神社19.jpg
ここは国宝の天守のある街。久しぶりに訪れました。

この夜、東海道新幹線は翌日早朝まで夜通しで動いていたのですが、もの凄く遅れながらの運行。

無理やり帰ろうとしたら、大混雑の中、何時間も寝れずに駅構内や列車内で過ごしたことでしょう。

ということで、長きに渡った私の福井の旅シリーズのレポはこれで終了です。福井新幹線が開通する前に終えられて、ホッとしました。ご覧いただき有難うございました。

次回は、延泊して過ごしたこの街でのことを書きたいと思っています。


Heisen-ji Hakusan Shrine, Katsuyama, Fukui, Japan

この記事へのコメント

2024年02月23日 20:42
TOPの「日本の道100選」にも選ばれている参道でしたよね。
よ~く覚えています(2019年11月でしたが)
その石の階段は修行僧たちが九頭竜川の河原から運んで作られたものとか。
出かけたときも杉の木立と苔が素晴らしかったです。
白山平泉寺歴史探遊館・まほろばに“想像力を元気にする”CMが残っています。

〝彦根″ですか?国宝・彦根城しか思い当たりません。
これは、期待が膨らみますね~~~~
バックに駅名が出ていますね。はっきりとはわかりませんが(笑)
2024年02月23日 23:03
こんばんは!
平泉寺白山神社は広大ですね。これだけでも一部なのですか。室町時代の最盛期には社領9万石、48社36堂という伽藍、6000もの坊院に、8000人もの僧兵がいたとは杉林と苔むした静かな佇まいからは想像ができません。
ここは一度行こうと計画していたのがだめになってしまった場所です。拝見できて良かったです。
台風の影響で北陸本線、東海道新幹線のダイヤが乱れて大変でしたね。それで彦根で泊まられたんですか?国宝の彦根城は何度も行っているのですぐわかりました。
2024年02月24日 08:39
平泉寺白山神社の境内は、苔と大木に包まれて厳かな雰囲気ですね。
そんな所に天気雨とは、ますます神々しいですね。
昔訪れた石川県の那谷寺を思い浮かべました。
とにかく広くて苔に覆われている風景が似ているからで
あまりよく覚えてはいないのですが。
常夜灯の傘の上に苔がいっぱい生えているのは珍しいですね。
台風直後で咄嗟の変更は素晴らしい結果となったようですね。
次回も期待しています。
2024年02月24日 10:56
こんにちは。

車旅で勝山市からR157で小牧市へまた勝山市からR158で美濃白鳥へ
走りましたが白山平泉寺は知らなかったです、何かしら東北の平泉中尊寺
に似た雰囲気があるように感じながら拝見しました。
2024年02月24日 13:02
こんにちは。
木々に囲まれた参道がとても素敵ですね。
静かで風情もありますね。心洗われるようです。
彦根で延泊されましたか、ハプニングも旅の
醍醐味ですね。
2024年02月24日 14:12
レンタカーを利用しての福井の旅、有意義でしたね。
白山三所大権現は室町時代の最盛期に、社領9万石を有し、48社36堂という圧倒的な数の伽藍があったとは凄い勢力を誇っていたのですね。
良く調べました。
福井駅も完成が近いようです。
天守のライトアップが荘厳な感じです。
2024年02月24日 20:17
こんばんは。
平泉寺白山神社は広大な境内にそびえる杉並木と地面を覆う苔が印象的です。所々にある祠やちょっと変わった二ノ鳥居などが風景に溶け込んで見えました。他にも室町時代に難を逃れた貴重な史跡が見られるのも素晴らしいですね。
2024年02月24日 21:07
こんばんは~
平泉寺白山神社 落ち着きのある雰囲気と歴史を感じさせる
所ですね。
神仏習合・一向一揆・・歴史の時間に聞いた文言が出てきて
学生時代はいい加減に聞いていたなと思い出しています。
福井には永平寺もあり、出かけた事を思い出していました。
台風の影響で時刻表どうりに動かないアクシデントを見越して
ホテルを取られたのは賢明でしたね。
私なら動かない交通機関に右往左往していたと思います。
また別の場所を楽しまれた様子思い出が増えて良かったですね。
2024年02月24日 21:26
平泉寺白山神社の参道、大きな木々の間で本当に空気感が違うでしょうね。こうして拝見していても木々の緑の中に清浄感が伝わってきました。これだけ広大な寺社仏閣なのにほんの一部とは驚きです。
台風、大変でしたね。帰宅を急がず、もう1泊延期したのは賢明でしたね。
さらにブログネタができて、良かったですね。
2024年02月24日 22:35
こんばんは!
平泉寺白山神社の雰囲気が素晴らしく、どの景色も最高ですね~☆
苔が見事で、とくに御手洗池の気配も素晴らしく
ほんとうによい風景を眺めさせていただきました~☆
それにしても帰りのトラブルは大変でしたが
安全に宿泊されて何よりでしたね。
2024年02月24日 23:16
こんばんは。
平泉寺白山神社は木々に囲まれた参道がとても素敵ですね。
杉並木と地面を覆う苔がとても印象にのこります。。
彦根で延泊されたんですね。
天守のライトアップ素晴らしいです。

レンタカーを利用しての福井の旅、
有意義な旅でしたね。
fujisan
2024年02月25日 07:45
おはようございます、
平泉寺白山神社の参道素敵ですね、苔むして、あちこちに神が宿っているような神苑な世界です。
2024年02月25日 11:24
彦根というと井伊直弼が浮かびましたが、幕末だし、こんな甲冑姿はないし❓
昨年の大河で活躍した麗しいお姿の方ですね( ´艸`)
彦根では有名な方だったのですねm(__)m

平泉寺白山神社・・・お寺と神社が並んで、なんともありがたい感じがしました。
2024年02月25日 12:26
苔の美しい所ですね。苔を見に行くだけでも、
十分価値のある神社、いや、本当はお寺さんかな、
とにかく価値のある所だと思います。
常夜灯の傘を覆う苔にも風情を感じました。
梅雨時などは、苔の緑がなお一層きれいでしょう。
それにしても、長い歴史を持つ仏教の聖地が、
なぜ神社を名乗らなければいけないのか。
伝統的な神仏習合の考え方に反して、
無理やり「神仏分離」の政策を推し進めた
明治政府のやり方は不合理としか言えない気がします。
2024年02月25日 14:47
平泉寺白山神社とは、神仏習合そのまんまですね^^)
「神様仏様」と崇めるのが日本人の宗教感覚で、
是正も分離も効果無しでしょうか^^;
古くからの神様も居そうで、新たな仏教を受け入れる素地もある。
そんな土地柄に見えます。
神様に対してはただ崇めて、この世を平穏にしていただく。
大自然に対して、人間は無力でお願いするしか無し。
仏教では修行修行で自らを高めて人格者にしていく。
対人関係においてはその人の人間力が試されます。
世の中と己の両にらみで広まった神仏習合、
そんな風に思えてしまう日本人の宗教感覚です。

僧兵が出てきて、農民を制圧する、年貢を召し上げる。
となると、宗教ではなくなります。
一向一揆なんて発生させたのは支配側が愚策を繰り返したからで、
一大宗教拠点を造る為に農民を犠牲にした、
そんな偽物宗教は滅びるし、焼き払われます。

最後は彦根駅の前に立つ伊達直正。
丘の上に建つのは、本物の国宝彦根城。
皆さんお分かりだと思うので、・・
これが次回の予告ですね。
2024年02月25日 18:50
私も、丸岡城や東尋坊を巡るときに計画を立てて回りました。ただ、平泉寺白山神社は知らなかったです。
延泊で彦根で泊まられたとのこと、時間があれば彦根城や佐和山城跡、長浜城なんか回られたのでしょうか。
福井県内も、現在放送されている「光る君へ」の紫式部ゆかりの地が点在しています。
関西からは新幹線の開通は関係ありませんが、再び福井を訪れたい思います。
2024年02月25日 20:09
地面が苔で覆われていて高い杉の木々
それと細めで長い参道・・・
とてもいい雰囲気ですね。
時間がゆっくりすぎてゆく感じです。

台風の影響での不安・・
北陸新幹線が開通していればとも思いますね。

米原の隣で国宝の城となると
彦根城ですね。
次回も楽しみですね。(^o^)
2024年02月25日 21:26
平泉寺白山神社、精進坂からの深い緑に続く道、趣があり神々しくていいですね。
信仰の対象になっている山の麓で山頂と同じ神社をよくみかけましたが、
白山の麓にも神社があるんですね。
再建された建造物が江戸時代とは歴史を感じます。
両部鳥居ですか、屋根がついてるのは見かけたことがない気がしますが、独特なのですか。
たくさんの伽藍と坊院があったとか、いかに栄えていたか想像してしまいますね。
そうなんですよね。前回のコメントでちょっと触れてしまいましたが、ここ勝山城址ではないんですよね。

ライトアップされたお城、5年余り前に行ったときホテルから見た光景が同じ気がします。ひょっとして同じホテル?近くのホテル?かもしれませんね。
2024年02月25日 22:23
こんばんは。
こうやってずっと拝見していると歴史好きにはたまらない場所のようですね。
永平寺があることは知っていましたがこれほど宝庫であったなんてミクミティさんがいらっしゃらなければ知ることはなかったでしょう。
私が興味のある高山植物で有名な白山の麓にあり、おそらく池も伏流水かなと想像しました。
白山登山することがあればまず、ここに参拝したほうが良さそうです。
2024年02月26日 08:07
おはよーございます。

当時、この地に8,000人もの僧兵がいたとは想像するのが難しいですね。
兵どもが夢の跡
でしょうか。

台風で日程変更したのはナイスな判断ですね。
場所は彦根でしょうか。
ハプニングがあると、振り返ったとき記憶に残りやすいですよね(^o^)
2024年02月26日 21:39
★nobaraさん、早速のコメント有難うございます。

はい、精進坂は「日本の道100選」にも選ばれている参道。
とっても、緑豊かで奥深い雰囲気のある道でした。
ずっと続く杉の木立と苔が素敵ですよね。
やはり、よ~く覚えていましたか。
石の階段は修行僧たちが九頭竜川の河原から運んで作られたのですか。
白山平泉寺歴史探遊館・まほろばもありましたね。
私は時間が無くて、ちょっとのぞいた程度でした。
この日の夜、急遽泊まったのは「彦根」。
すぐ分かってしまいましたね。
2024年02月26日 21:45
★ekoさん、早速のコメント有難うございます。

平泉寺白山神社は広大ですよね。当時は、圧倒的な広さがあったそうです。
最盛期は室町時代、その建築や人の多さは今では想像に絶する規模だったことでしょう。今は当時の繁栄が信じられません。
そうですあ、行こうと計画していましたか。是非いつか行かれて下さい。
この日、台風の影響で鉄道のダイヤは大乱れ。
帰れないと悟って、急遽、彦根で宿が取れました。
そちらから、彦根は近いですよね。
2024年02月26日 21:50
★コスモスさん、早速のコメント有難うございます。

はい、平泉寺白山神社の境内は、苔と杉の大木に包まれて厳かな雰囲気でした。そこに天気雨、本当に神秘的な雰囲気でした。
石川県の那谷寺は知りませんでした。やはり苔が多いのお寺なのでしょうか。奥深い緑は癒されますね。
常夜灯の傘の上にも苔がいっぱい。微笑ましかったです。
台風直後のダイヤの乱れ、もう帰れないと思い急遽、宿を取ったのです。
2024年02月27日 00:08
こんばんは。

平泉寺白山神社、パワースポットというのでしょうか。境内に足を踏み入れると身が引き締まるような感じがありますね。
勝山城博物館、日本一の模擬天守なんですね。作るときに日本一を狙って建てられたのか、それともたまたま日本一だったのか、どちらなんでしょうね(^^)
福井駅から帰路は台風によるJRの計画運休で大変でしたね。彦根に泊まられたのですね。
駅前の像は彦根藩初代藩主の井伊直政でしょうか。もし、関ケ原の合戦で西軍が勝っていれば、駅前の像は石田三成だったかもと思ってしまいました(^^;
2024年02月27日 19:28
★poniesさん、コメント有難うございます。

車旅で勝山市から岐阜や愛知の方へ抜けられましたか。
平泉寺白山神社も勝山市、恐竜だけではないなと思いました。
神聖で荘厳な雰囲気でした。
平泉という地名に繋がりますね。中尊寺は立派なお寺ですね。
2024年02月27日 20:45
 確かに平泉寺白山神社も巨大な宗教勢力でしたね。史書にも何度となく登場します。白山信仰の拠点として栄え、加賀の白山比咩神社が持っていた白山山頂の管理権や入山料の徴収などの利権を奪おうとして争い、江戸時代に入ってから幕府の寺社奉行によって御前峰・大汝峰の山頂は平泉寺、別山山頂は長瀧寺が管理すると決められ、白山頂上の祭祀権を白山比咩神社から奪いました。明治政府の廃仏毀釈によって白山頂上の祭祀権は再び白山比咩神社に戻りましたが。苔寺で思い出しましたが、「街道をゆく 越前の諸道」で司馬遼太郎も讃えていましたね。北陸新幹線は果たして新大阪まで延伸するのかできるのか、ちょっと気になっています。
2024年02月27日 21:09
★ゴンマックさん、コメント有難うございます。

平泉寺白山神社、そうなんです。木々に囲まれた緑の参道がとても素敵でした。
静寂の世界で風情もたっぷり。真夏でしたが心洗われるようでした。
はい、電車のダイヤの大混乱で、彦根で延泊しました。
確かに、想定外のハプニングでしたが何とか楽しむことができて良かったです。
2024年02月27日 21:13
★ミニミニ放送局さん、コメント有難うございます。

はい、レンタカーで巡った福井の旅、お陰様で楽しめました。
台風が来ていたのでどうなるかと思っていたのです。
平泉寺白山神社は、当時は白山三所大権現。室町時代の最盛期には、とてつもなく大きな宗教都市だったようです。
今からはちょっと想像を絶します。
新幹線の福井駅は、もう完成しているでしょう。
そこから、彦根へ行って天守のライトアップを見上げました。
2024年02月27日 21:17
★ミズバショウさん、コメント有難うございます。

平泉寺白山神社は、奥深く続く杉並木と地面を覆う苔がとっても印象的。
荘厳な雰囲気で真夏ながら心が洗われるようでした。
現在の境内に点在する祠や鳥居が、趣をたっぷりと感じさせてくれました。
戦国時代にほとんどが無くなってしまった境内。
静かな境内で当時の繁栄に思いを馳せました。
2024年02月27日 21:21
★つむぎさん、コメント有難うございます。

平泉寺白山神社 広大な境内に苔に覆われた奥深い緑の世界。
落ち着きと趣たっぷりの雰囲気で歴史を感じさせてくれました。
そうですね、神仏習合・一向一揆・白山志向などは日本史の時間に出てきたいことでしょう。
そうなんです、福井には永平寺もあり、激動の宗教争いがあったと思います。
台風の影響で大混乱だった鉄道、そこで延泊を決めて良かったです。
福井からの帰り道、彦根はちょうどいい場所だったのです。
2024年02月27日 21:25
★かるきちさん、コメント有難うございます。

はい、平泉寺白山神社の参道、大きな杉並木と緑の苔に囲まれて厳かな雰囲気でした。真夏でしたが心洗われるような気分でした。
ちょうど雨上がりでもあったので。
ここはかつての巨大な宗教都市の遺跡の場でもあるのですね。
台風7号、大変でした。大幅なダイヤの乱れで思い切って宿を取ってよかったです。確かに、思わず彦根観光がブログネタになりました。
2024年02月27日 21:29
★komichiさん、コメント有難うございます。

はい、平泉寺白山神社の荘厳な雰囲気が素晴らしく、真夏でしたが心洗われるようでした。和の趣もたっぷりで、短時間でしたが癒されました。
特に、辺りを覆い尽くす苔が見事でした。
御手洗池の景観もよかったです。
そうなんです、帰りは大変でした。
台風だから仕方が無かったです。想定外でしたが延泊して良かったです。
よく寝て疲れをとることができました。
2024年02月27日 21:32
★ろこさん、コメント有難うございます。

平泉寺白山神社、杉並木と苔に囲まれた参道がとても素敵でした。
奥深い緑の世界は荘厳な雰囲気で、そこにお天気雨だったので非常に印象的でした。
帰りはダイヤが大幅に乱れて大変でした。
そこで思い切って宿を取って良かったです。それは彦根。
全く予定外でしたが、天守のライトアップ見られて嬉しかったです。
2024年02月27日 21:34
★fujisanさん、コメント有難うございます。

そうなんです、平泉寺白山神社の参道は杉並木と苔に囲まれてとっても素敵でした。緑の静寂の世界は神々しいくらい。
ちょうど雨の時に日差しが入ってきて印象的でした。
確かに神苑な世界といった感じでした。
2024年02月27日 21:38
★コマダムさん、コメント有難うございます。

平泉寺白山神社。かつて神仏習合の名残りですね。
奥深い緑と静寂の世界、とっても荘厳な雰囲気でした。
そこから、鉄道のダイヤは多く乱れ、想定外でしたが彦根へ宿泊。
確かに、井伊直弼で有名ですよね。
それでも、駅前に立つのは初代藩主の井伊直政。
昨年の大河ドラマでも活躍しましたね。
2024年02月27日 21:43
★yasuhikoさん、コメント有難うございます。

そうなんです、平泉寺白山神社は苔の美しい荘厳な雰囲気の場所でした。
その苔を見るだけも価値はありますね。真夏でしたが素晴らしかったです。
天気雨で益々神々しさが漂いました。
常夜灯の傘を覆う苔、微笑ましかったです。
かつての神仏習合の地、無理やり神社を名乗ったのでしょうね。
確かに、明治の廃仏棄釈は非常に残念な宗教政策だったと思います。
本当にそれが必要だったのか、いろいろと考えさせられます。
2024年02月28日 15:23
平泉寺白山神社を後した最後の写真、傘を差した後姿の人物、これを入れたことで雰囲気が出てきましたね。
2024年02月28日 21:41
★アルクノさん、コメント有難うございます。

平泉寺白山神社、まさに神仏習合だったことを物語っていますね。
「神様仏様」、そうですね、日本らしい。
明治初期、それが許されない時代があったのですね。
こちらは、巨大な山岳信仰の宗教都市だったと思います。
特に、越前や加賀では大きな宗教の流れが絡み合ったはず。
修行修行で自らを高めて人格者にしていく、それも日本にマッチしたのでしょう。
それでも、宗教は争いを呼び僧兵が台頭する時代もあったのですね。
一向一揆が盛り上がったのは、室町幕府が凋落して戦乱の世になり、まともな政治ができなかったからでしょうかね。
そんな宗教を巻き込んだ争いの中で、白山神社は焼き払われたのですね。
そこに織田信長も介入して武家支配が復権したのです。

そうそう、彦根駅の前に立つ井伊直政像。
丘の上に建つのは、本物の城、彦根城。はい、次回の予告でもありました。
2024年02月28日 21:48
★壬生里さん、コメント有難うございます。

丸岡城や東尋坊へ巡るった時、平泉寺白山神社はご存じなかったですか。
ここは勝山市、恐竜博物館に訪れた後に行ってみたかったのです。
とはいえ、この日、家には帰れないと観念して延泊したのです。
場所は彦根でした。全く予定外だったので、今回は彦根城だけ。
それでも久しぶりの行けて嬉しかったです。
福井県内にも、紫式部ゆかりの地が点在しているのですね。
正直、その点は今回考えが至りませんでした。
2024年02月28日 21:54
★ゆうさん、コメント有難うございます。

平泉寺白山神社、地面が苔で覆われていて高い杉並木が続きます。
その長い参道を歩いて行くのは心洗われるような感覚でした。
天気雨となって、神々しく印象的でした。
この日は、台風の影響で太平洋側のダイヤは大乱れ。
米原の隣で国宝の城、彦根城とすぐに分かってしまいますね。
2024年02月28日 22:02
★すずりん♪さん、コメント有難うございます。

平泉寺白山神社、精進坂からの深い緑に囲まれた参道。
趣があり神々しかったです。白山信仰の拠点だったのですね。
戦国時代に焼かれてしまったので、現在残っているのは江戸時代に再建されたものが多かったです。
屋根がついた鳥居はすなかなか珍しいですよね。
ここ多くの伽藍と坊院があった一大宗教都市だったのが夢のようです。
この後、勝山城博物館をちらっと眺めて福井駅に戻りました。

ライトアップされたお城、ホテルから眺めましたか。
私は駅近くのホテルでしたので、ホテルからは見えませんでした。
2024年02月29日 21:11
★tamiさん、コメント有難うございます。

はい、そうですね、平泉寺白山神社は歴史の趣きとロマンを感じる場所でした。短い時間でしたが行って良かったと思いました。
永平寺は現在でも繁栄していますが、壊滅的に破壊されたのですね。
白山の麓は、高山植物の名所でもありましたか
確かに、伏流水が湧き出ているでしょうね。神々しく感じました。
是非、いつか訪れてみて下さい。
2024年02月29日 21:16
★Kojiさん、コメント有難うございます。

当時、平泉寺白山神社に8,000人もの僧兵がいたとは、本当に想像を絶します。大きな宗教都市だったと思います。それが今では静寂の世界。
まさに、「兵どもが夢の跡」といった佇まいでした。
台風による大幅なダイヤの乱れで延泊。日程的に余裕があって良かったです。
はい、場所は彦根です。
正直、お城巡りをしたいという下心がバレバレですね。
2024年02月29日 21:20
★narayama2008さん、コメント有難うございます。

平泉寺白山神社、そうですねパワースポットともいえでしょう。
今は、緑に覆われた神聖な場所といった感じでした。
荘厳な雰囲気で、真夏でしたが心洗われる思いでした。
はい、勝山城博物館、日本一の模擬天守のようです。
日本一を狙ったのではないですか。姫路城をイメージしていたと思います。
福井駅から帰路は、台風の影響で大変だったのです。
途中、彦根に泊まりました。
駅前の像は井伊直政です。石田三成の居城を受け継いだ張本人ですね。
2024年02月29日 21:29
★降魔成道さん、コメント有難うございます。

本当によくご存じで。
平泉寺白山神社が、白山信仰の拠点として栄え巨大な宗教勢力だったこと。行く前はそれ程イメージしていなかったのです。
訪れて、その奥深さと幻の歴史ロマンを感じました。
加賀の白山比咩神社との争いも壮絶だったのですね。
宗教勢力もどうしても、覇権や利権を得ようと必死だったのではないでしょうか。それだけ不安定な世の中だったのでしょう。
江戸時代では、寺社奉行の裁定もあったのですか。
明治になっても廃仏毀釈によって激動の時代が続いたのですね。
北陸新幹線の京都・大阪への延伸、結構難しい問題のようですね。
2024年02月29日 21:31
★茜雲さん、コメント有難うございます。

平泉寺白山神社を後した最後の写真、さすがよく見てくれています。
傘を差した後姿の人物が、天気雨の様子を現わしています。
私としても、印象的なシーンで、これをブログに残しておきたいと思ったのです。
2024年03月02日 11:16
こんにちは

歴史の奥深さを感じますね
森の中に息づいているものが
静かに語り掛けます
彦根は井伊直正ですが
二代城主の直孝は焼津生まれとのこと
また楽しみにしています
2024年03月02日 19:29
★無門さん、コメント有難うございます。

そうですね、平泉寺白山神社、歴史と信仰の奥深さを感じました。
緑の森の中にそんな荘厳さが息づいていました。
静かでしたが、そんな雰囲気の中を歩けて気分が高まりました。
彦根藩初代は、井伊直政。直孝は焼津生まれでしたか。
2024年03月02日 23:19
こんばんは。
平泉寺白山神社、良いですねぇ。鎮守の森と緑の苔に彩られた参道の先に鎮座していると言うだけでも趣が有りますし、こういう神社は大好きです。
あ、勿論、開けた大きな神社も大好きなんですが、参拝客が少なそうというのも静かに参拝出来て良いですね。
最近は温暖化の影響で各地の苔が枯れ始めたり種類が変わってしまったとTVで放送してましたが、ここの苔はまだ綺麗に生えていましたでしょうか?
2024年03月03日 15:54
僕も去年福井へ行ったときに、勝山駅までは行ったのですが、勝山城模擬天守が近くにあることは気づいていたのですが結局行きませんでした。
中身は博物館になっているのですね。
僕の家の近所の「豊田城模擬天守」(何の根拠もない、本当の模擬建物です!)も相当大きな建物ですが、こちらのほうが高いのですね。
まあ、勝山城というお城自体は存在していたはずですから、こちらのほうがまだリアリティがありますね。
帰りは台風で難儀されたようですが、彦根城の本物の天守が見られてよかったですね。
2024年03月03日 17:36
★空蝉さん、コメント有難うございます。

平泉寺白山神社、良かったですよ。
緑に覆われた奥深さと荘厳さを味わえました。
森と苔に彩られた参道を歩くのは心洗われる気分でした。
それに参拝客も少なくて秘境と言った感じでした。天気が悪いせいもあったと思います。
真夏だったので苔は少し薄れている部分もあったと思いますが、まだまだたっぷりありました。
2024年03月03日 19:35
★家ニスタさん、コメント有難うございます。

勝山駅からは結構遠いですからね。私も勝山城博物館は、通りがけに眺めただけ。立派な模擬天守でした。中には入りませんでした。時間があったら立ち寄ってもよかったのですが。
平泉寺白山神社に、思いのほか近いところにあるんだなと思いました。
この日、東海道新幹線が大幅に乱れて焦っていました。
台風が来るのは分かっていたので、それに巻き込まれるのは仕方がなかったですが。
2024年03月12日 17:09
白山の近くに住む僕には、白山禅定道という三つの登山道の入口となる馬場の一つとして認識しています。御手洗池を起点に社殿の左手からが越前禅定道という登山道で、往時は白山登山の主要道でした。今は木々に阻まれて厳しい道になって、白峰から別当出合から登る人が多く、あまり登山客も少ないようです。
福井藩を背景に加賀白山本宮・美濃長瀧寺と争った白山争論で18世紀中後半に白山管理権を幕府裁定で得て復興したものの、福井藩のごたごたで小さな勝山藩が立藩したために後援が小規模で復興が遅れがちだったところに、明治の神仏分離で荒廃したのが非常に残念な存在になっています。ミクミティさんが駐車場から神社の方に向かった精進坂の反対方向に200mほど行ったところに分離された平泉寺が明治後年に平泉寺小学校跡地に建てられています。
平泉寺の苔はいつ行っても見事なものですねえ。ここに行くと心が洗われるようで、駐車場の側のソフトクリームが絶品で、お気に入りの場所です。

実は勝山城は現在の市役所のところだったんです。しかも天守台はあっても天守は史上になかったんです。別物として大阪の相互タクシーの会長が北の方に越前大仏寺とセットで建てたものなんです。後に勝山市の管理で博物館になったものなんです。近づくと解りますが石垣には九匹の龍が彫られた派手なものです。ちなみに大仏の五重塔もコンクリート造りの物としては国内一だそうです。ただ、できた時の拝観料の高額に評判が悪く(僕も金額を見てUターンしました^^;当時拝観料が一人3000円、駐車場が2000円、そりゃ嫌われます。)、採算が取れずに管理物件に。。今は拝観料も安くなってるみたいですが。。有難みが無くて行ってないなあ。。
2024年03月12日 20:48
★つとつとさん、コメント有難うございます。

こちらは、つとつとさんの地元ともいえる場所の一つ。
長く激動の歴史があった土地ですから、もう語り尽くせないくらいの物語があるのでしょう。本当によくご存じのことです。
私が時間が無くて、短時間の訪問で参拝しただけでした。
広大な敷地で、現在見られるところを見るだけでも相当な時間を要しますね。つとつとさんのレポートも読んでみたいものです。

平泉寺白山神社は、厳かで偉大な信仰の場であったと思いますが、数々の争いの場となった歴史があるのですね。それは江戸時代に復興されてからも、加賀白山本宮や美濃長瀧寺と国ぐるみの論争があったとは。そこに藩や幕府も絡んでいたのですね。幕府も調停や決裁が大変だったろうなと想像します。

もちろん、白山信仰と白山登山の入口のひとつ。
当時は行き交う人も多かったのでしょう。
今は見事な苔が印象的な静かな寺社でした。

それから、近くの勝山城と越前大仏寺は、ちょっと微妙なモノを感じますね。それでも、相互タクシーの会長の心意気の凄さは感じました。今は勝山市の管理でしたか。なるほど、今回はパスしましたが、次回は見てみたい気もしますね。