三国湊きたまえ通りから丸岡城へ

令和5年(2023年)8月の福井の旅。私のレポートは、前回の東尋坊からすぐ近くの歴史ある港町へと移動したところから。

そこは、福井県随一の九頭竜川(くずりゅうがわ)の河口にある三国湊(みくにみなと)です。

その街中にある、三国湊きたまえ通りを訪れて散策したかったのです。

その名通り、江戸時代から北前船の寄港地として、また日本海側を代表する交易の街として三国湊が賑わっていた面影を残す建造物が並びます。
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かつての商家の町屋を改装したという三国湊町屋館

木造家屋に赤い格子戸がレトロ感を漂わします。ここが無料の観光休憩所になっています。

中に入ってみると地元の民芸品やお祭りの品々が並び、ちょっと上品なスペースがあります。
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ここでトイレに入ったりして一休み。

三國祭りの山車巡行のシーンなどの映像も見ることができます。

その隣の並びにあるのが、江戸時代の材木商から豪商となった岸根家の町屋、旧岸根家です。
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正面に下屋根が張り出す三国の特徴的な「かぐら建て」と呼ばれる建築様式。

内部も一部当時の様子が再現されています。

三国には、こんな商家や廻船問屋が数多くあったそうです。やはり北前船の力は絶大だったのでしょう。

更に、通りには「マチノクラ」という資料館と「マチノニワ」という庭園もあります。
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かつての蔵や庭のレトロ感の残しながら現代風に蘇らせた感じ。三国の歴史や文化の展示に触れることができます。

奥行があって、奥の方は川沿いの船着き場へと続いたはず。

平成28年(2016年)の完成とのことですから、まだ新しい施設ですね。観光振興の一環であると分かります。

今は静かな通りですが、江戸時代後半からは花街としても栄えたとか。多くの芸妓遊女が闊歩していたのでしょう。

それが昭和の初期位まで続いて、、。正直、今そんな様子を想像するのは難しいですが。
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とはいえ今も、こんな古い建物を活かした美術品や骨董品のお店があります。

更に、こんなお洒落な大正時代の洋館も。
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旧森田銀行本店です。かつての豪商の一つ森田家が創業した銀行だそうで、昭和46年(1971年)まで実際に営業していたとか。

左手にあるのは、三国祭りの山車蔵(だしぐら)ですね。レトロで豊かだった街のたたずまいを感じました。

ただ、明治の途中から陸路中心の物流となり、だんだんと街の繁栄が陰っていったのも歴史ですね。

ところで、私がここを訪れた目的は、歴史ある通りを巡ることだけではありません。
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それはランチを食べる為。ここが三國湊座。カジュアルな食事処です。

こちらで食べたのがご当地グルメの「三國バーガー」。
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福井産ビーフに、特産のラッキョウなど地元素材にこだわったバーガーです。レタスもたっぷり。

もちろん、あっという間においしく頂きましたよ。

こんなふうにサラッと三国きたまえ通りを散策した後は、車で近くの高台に登りました。

ここにちょっと気になった建築があったから。
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これは坂井市龍翔博物館(りゅうしょうはくぶつかん)。

五層八角の洋風建築の最上階が可愛らしいマッシュルーム型のドームになっているが凄く特徴的。

これが三国の街から見えていました。思わず惹きつけられるように車を走らせてしまって。
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明治時代の小学校の外観を模して、昭和56年(1981年)に開館した資料館が、令和5年(2023年)に新たな博物館としてリニューアルされたばかり。

三国湊の繁栄、三國祭りのあゆみ、丸岡藩誕生の歴史など、様々な展示があるのですが、残念ながら今回は中に入らず、外観を眺めることにとどめました。ちょっと時間が無くて、、。

その代わり、丸岡藩の歴史を直接的に感じられるスポットへとドライブしたのです。
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それは30-40分程、一般道を走ったところ。小高い丘の上に見えていますね。

あれが丸岡城(まるおかじょう)の天守です。

麓の歴史民俗資料館の脇の石段を登って行きます。
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そもそも丸岡城は、柴田勝家が越前を治めるにあたり、この地に甥の柴田勝豊(しばた かつとよ)に築かせたとされます。

その後、城主は目まぐるしく変わりますが、江戸時代初期に本多成重(ほんだ なりしげ)が入城して、独立した丸岡藩となったのです。

その丸岡藩の本拠が丸岡城。ここも日本100名城の一つですね。
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天守を、こんなパネル越しに撮影してみました。

何と言っても、これが数少ない現存12天守のひとつ。歴史好きには外せません。

現在は、重要文化財になっていますが、昭和23年(1948年)の福井地震の被災前は国宝だったそうです。
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最近の研究では、寛永5年(1628年)の建造ではないかとのこと。いずれにしても、非常に古い天守です。

天守台の石垣も初期の野面(のづら)積みですね。
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素朴ながら頑丈に積み上げられています。

もちろん、中にも入りましたよ。
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現存天守の古い木材の風合い。歴史ある「本物の城」ならではの魅力を感じます。

そして、非常に急な階段。これは横から見ると明らか。
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ちょっと苦労して、紐を使いながら2つの階段を登りましたよ。

補助するスタッフが付いていました。

そこで、天守の最上階の窓から見下ろすのがお決まりの行動。
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珍しいのが、屋根が石瓦(いしがわら)であること。

福井名産の笏谷石(しゃくだにいし)が使われているそう。冬の雪に対応するためだったとか。

こんな窓飾のある窓枠も面白いですよね。
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ここに城下町があったと思います。

欄干のある回廊付きの窓も古風で特徴的だと思います。
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こんなふうに江戸時代の藩主も窓の外を眺めたことでしょう。

そんな最上階に「天井の間」には、こんなパネルが目立っていました。
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この鎧兜をまとったイケメンが、本多成重。丸岡藩の初代藩主ですから。

「格好良すぎるだろ!」と感じながらも、お城の人気UPを図るためにはこれも大事なのですね。

成重は、徳川家康の三河家臣団のひとり本多作左衛門(さくざえもん)重次(しげつぐ)の長男。

当然ですが、NHK大河ドラマ「どうする家康」には登場しない功臣はまだまだ多くいたのです。特に、本多姓は多いですね。



最後に、そんな本多重次と成重の親子のエピソードにちなんだ場所をご紹介します。

それは、丸岡城の天守の上からものぞめます
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知っている人はよくご存じでしょう。本多重次は、長篠の合戦の陣中から妻に日本一短い手紙を送ったとされます。

一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」という手紙。このお仙こそ、一人息子の仙千代、つまり本多成重のこと。

このことは、丸岡城の城内にも石碑があったり掲示板などで紹介されています。

窓から見える立派な建築をズームアップ。
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これが、「一筆啓上 日本一短い手紙館」です。

平成27年(2015年)開館のこの施設では、短い手紙の全国コンクール(一筆啓上賞)に寄せられた手紙が展示されています。

心に染みる手紙の数々が、画像やパネルでアクティブに流れたり、検索できたり。

お城に興味の無い私の妻は、私が天守を見物している間、この手紙館の中で過ごしていました。

我々は、短いLINEで落ち合って、次の目的地へと向かったのでした。



Mikuni-port & Maruoka castle, Sakai-ity, Fukui, Japan

この記事へのコメント

2023年11月19日 22:34
三国湊の街歩きをされたんですか。
北前船の寄港地は、富裕な商家の街並みが
残ってる場合が多いので、街も見応えがありますね。
大正時代の銀行建築も立派ですし、海上輸送が
物流の中心だった時代の街の繁栄ぶりが
偲ばれるような気がしました。
丸岡城は現存十二天守の一つなんですね。
以前、『一筆啓上 日本一短い手紙』の本を
本屋さんで手に取ったことがあります。
地域おこしでこんなことやってる所があるんだ
くらいの興味でぱらっと見ただけでしたが、
そういう歴史的ないわれがあったんですね。
2023年11月19日 23:04
こんばんは。
三国湊ですか、この古い昔ながらの家並みが良いですねぇ。
こういう家並みの中をゆっくり散策しながら地元の食物を頂く、最高ですね。とは言え、軽い顎関節症なのでハンバーガーを食べるのは苦手なんですが。。w
丸岡城の天守への階段、まるで梯子の様に急ですね。こういう階段は、外人体形(足細で上半身ぷっくり)だと難しそうですね。もう外国人客も多そうですし、階段が渋滞してませんでした?w
あ、因みに、こんな天守にマンガキャラ(?)のパネルは好きになれません。街中だと気にしないんですけどね。w
2023年11月20日 07:52
おはよーございます。

丸岡城、知りませんでした(^_^;)
行ってみたいです!

>我々は、短いLINEで落ち合って、次の目的地へと向かったのでした。
なんか、そういうのいいですね(^o^)

2023年11月20日 08:54
おはようございます。
三国湊の街並みを見ると北前船や交易の街として繁栄した当時の様子が思い浮かびます。丸岡城は現存する12天守のひとつだけに歴史を経た重みを感じました。野面積みの石垣もごつごつとした石に素朴な味わいがありますね。「日本一短い手紙」は聞いたことがありますが本多重次が陣中から妻へというのは初めて知りました。立派な建物の名称にもなっているのですね。
2023年11月20日 09:44
おはようございます。
丸岡城、日本のお城を感じて素敵ですね。
日本一短い手紙、用件が簡潔で本多重次さんの妻への優しさも
感じられて素晴らしいです。短いラインで落ち合う
うちは絵文字と単語です(笑い)。
2023年11月20日 11:39
こんにちは♪

福井へは自分が子どもの頃も含め何回も行っているんですが、考えてみると子どもが小学生の頃が最後、もう25年以上も前のことでした。
その頃の三国は地味な街だったので子ども連れは当然スルー。
子どもだったら飛びつくような三國バーガーなんてたぶんなかったでしょうし・・・
東尋坊や雄島、松島水族館など子ども受けするところには行きました。
丸岡城はただ行っただけのような気がします。
ミクミティさんがいろいろレポートしてくださるので、再訪したくなりました。
2023年11月20日 14:04
こんにちは。

やっぱり丸岡城に行かれたんですね。
私も現存するお城、再建されたお城、石垣がきちんと残っている
お城はほとんど訪問しましたが丸岡城は派手な城ではないですが
石垣も建物も綺麗に保存されていて印象に残ったお城です。
ミクミティさんの記事で今また蘇りました、有難うです。
2023年11月20日 14:09
丸岡城、行きました~2019年11月終わり頃でした。
桜の紅葉が綺麗でした。
ツワブキやサザンカ、ノコンギクが城内に咲いていました。
外観は2階に見えるけれど、中は3階になってるんですよね。
このほぼ直角の階段、上り綱の助けを借りなければ登れません。
先に登って、夫が苦労してる様子を写真に撮りました。
多分、今では、上に行くのは無理かと思われます(笑)
そのときもご年配の人は下で待ってらっしゃいました。
今はサポートのスタッフさんがいらっしゃるのですね。
お城に登るのも大変な急石段でしたよね。
野面積みが素朴なりにきっちり頑丈に見えましたね。
その代わり、天守閣からの眺望がすばらしかったです。
本田成重さん、イケメンすぎませんか(^o^)丿
「一筆啓上 日本一短い手紙館」へも、勿論行きましたよ。
古城展望室で上空からの動画をみました。
共通入場券でしたから、出かけたんですけどね。
2023年11月20日 15:24
北前船の寄港地としての三国湊ですか、興味をそそりますね。
昔風の長屋づくりで、赤い格子戸と、雰囲気あります。
「かぐら建て」は神戸市の北東にある三木市にも残っていてレトロです。
商売繁盛になって、人も行き交い、花街もあったのですか、今は昔ですね。
私が働き始めた頃、昭和46年まで営業していたという銀行、
大正時代の雰囲気が残る、歴史物です。
地元特産品を使った三国バーガーですか!
時代は変わりました^^)
行きたいと思いながら行けていない、丸岡城がGoodです。
急な階段は横から見ると梯子状態で、脚立を登るような感覚でしょうか。
丸岡藩の初代イケメン藩主、
このようなイラストは兵庫県の城跡にも掲げてあり、
全国的な流れかもしれないです^^;
日本一短い手紙は、時代が流れ、
現在の「短いLINEで落ち合って」に生かされ、活用されています^^)
tami
2023年11月20日 20:38
こんばんは。
こういうところがあったのですね。
私は歩くことは好きですがあまり街歩きは高山以外あまり記憶がないです。
北前船の寄港地は栄えていたのですね。
山形県でいえば酒田となります。
ミクミティさんといえば特に城ですね。
短い手紙はもちろん知っていますがここがゆかりでしたか。
2023年11月20日 21:00
7年前に福井に行った折り、三国湊も候補にあがりましたが、
交通が不便なので諦めました。
北前船の寄港地で賑わったところですか。
三国祭りの山車蔵も見たいですね。
坂井市龍翔博物館にも興味を惹かれます。
丸岡城の石垣は野面積みですか。
素朴なこの石垣好きですよ。
とっても急な階段ですね。
私はあまり無理せず、眺めるだけがいいかもしれません・・・。
2023年11月20日 21:18
こんばんは!
北前船で栄えた三国湊のきたまえ通りは当時の賑わいを彷彿とする建物が並びますね。木造家屋に赤い格子戸、かぐら建てと呼ばれる様式の旧岸根家、お洒落な大正時代の洋館旧森田銀行本店と興味深い建築物が多いですね。
ご当地グルメの「三國バーガー」は美味しそう~。若者たちには人気でしょうね。
現存12天守の一つ、丸岡城は福井地震の被災前は国宝だったのですか。天守台の石垣は初期の野面積み、屋根は福井名産の笏谷石の石瓦、内部の急階段など古い天守の様相が見られますね。パネルの本多成重はイケメン過ぎます。
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」という日本一短い手紙は本多重次が妻に送ったものだったのですね。今回初めて知りました。「一筆啓上 日本一短い手紙館」という建物まであるとは面白いです。
2023年11月20日 21:32
三国湊きたまえ通りですか。かつての繁栄がしのばれる場所ですね。本当の目的は丸岡城ですか。初めて知りました。
でも本当に古いお城のようですね。急な階段、これ昔の人着物を着て昇り降りできたのだろうかって思ってしまいます。転がり落ちそうで怖いですね。
2023年11月20日 23:32
こんばんは。

三国湊、今もレトロ感いっぱいの町並みが残っているんですね。こういうところはゆっくりと散策したいです(^^)
丸岡城は現存12天守の一つなんですね。お城好き、歴史好きには外せないお城ですね。
眺めもいいですね。
本多成重、イケメン過ぎですね~(^^;
本多作左衛門の長男なんですね。「どうする家康」では登場しませんでしたが、同じNHK大河ドラマの「徳川家康」では長門裕之さんが本多作左衛門役でした。
2023年11月21日 22:30
丸岡城は現存十二天守の一つなんですね。
私が訪れた現存十二天守は弘前城、松江城、松本城、彦根城で丸岡城のことは知りませんでした。
いずれも階段は急で転げ落ちそうでした。
華やかさはないけれど落ち着いたいいお城ですね。
日本一短い手紙は本多重次さんの手紙でしたか。
愛妻家で子煩悩なやさしい方だったのでしょうね。
今回もとても勉強になりました。
ありがとうございます。
2023年11月22日 14:13
まだまだ素敵な場所が
いっぱいあるのですね
花街があったりかぐら建てがあったり
ドームの博物館まで。
本物の城丸岡城
石瓦を使ってるのが凄いですね
2023年11月22日 22:17
こんばんは!
三国湊ですか~☆
三国湊のきたまえ通りの雰囲気もかつての様子がうかがえて
なかなか興味深いですね~☆
「三國バーガー」いつもは食べないバーガーですけど
こちらのバーガーは美味しそう~♪
丸岡城の天守台の石垣が「野面(のづら)積み」と言うんですね❕
確かに武骨で粗削りな感じが素敵ですね。
屋根も石瓦とは、おそれいりました(笑)。
天守台の窓から外界を眺めた気分はもう殿様~♪
2023年11月23日 21:16
★yasuhikoさん、早速のコメント有難うございます。

はい、東尋坊からほど近い、三国湊の街歩きをしました。
ここも北前船の寄港地。富裕な商家の街並みがずらっと並んでいたと思います。現在は、復元された建物と合わさって、古い町並みが形成されています。大正時代の銀行の洋風建築は当時ハイカラだったことでしょう。
今もレトロでとてもお洒落です。
海上輸送が物流の中心だった時代。今とは全く違った社会だったでしょうね。
はい、丸岡城は現存十二天守の一つ。一筆啓上 日本一短い手紙館は、そのハス向かいに建っています。
2023年11月23日 21:24
★空蝉さん、早速のコメント有難うございます。

三国湊、かつて北前船の寄港地の面影を感じられました。
当時は繁栄を謳歌していたとは、ちょっと想像するのは難しいのですが、時代の変遷は感じます。
地元の食物で作った三國バーガーは、まだ最近のことでしょう。
私は旅行中、手軽に食べられるので、よく買ってしまいます。
丸岡城の天守への階段は本当に急です。確かに梯子のよう。
紐が無かったら登るのは結構大変だと思います。
たまたまでしょうか、外国人客は少なかったです。
武将のマンガキャラ、最近はよく見かけます。
ありえないのに、好きになっちゃう人が多いのでしょうね。
2023年11月23日 21:28
★kojiさんん、早速のコメント有難うございます。

丸岡城は現存12天守の一つ、以前から行かなくてはと思っていました。
関東からですと、なかなか行きづらいですからね。
そんな城も、妻にとっては全く興味が無くて、、。
短いLINEで落ち合いながら、旅をすることは多いです。
2023年11月23日 21:34
★ミズバショウさん、コメント有難うございます。

三国湊の街並み、かつて北前船で繁栄した当時の様子を再現しようと試みていることが分かります。実際は、もっとたくさんの商家や廻船問屋が軒を連ねていたことでしょう。
丸岡城は現存12天守のひとつ。
小さいですが、古いので特徴的な造りが随所に見られ興味深かったです。
野面積みの石垣もいいですん。
「日本一短い手紙」は私も聞いたことがありましたが、本多重次のものとは知らず。今は、そこから展示館まであるのですから、凄いなと思いました。
2023年11月23日 21:37
★ゴンマックさん、コメント有難うございます。

丸岡城は、日本でも有数の古さの天守。数少ない本物の天守です。
やはり内部も外観も風格と味があるなと思いました。
日本一短い手紙、は本多重次が妻へ出したものだとは、、。
今は、LINEやメールがあって、あまり手紙は書かなくなりましたよね。
2023年11月23日 21:41
★まりんさん、コメント有難うございます。

そうでしたか、福井へは何回も行かれてますか。
確かに、その中で三国は地味ですよね。
ただ、最近は北前船にちなんだ町興しをやっているなと感じました。
三国きたまえ通りなんて、そのものずばりですからね。
三國バーガーも、そんなに古くはないですよね。
東尋坊や雄島、松島水族館が、子供旅の定番ですね。
丸岡城へも足を伸ばされましたか。
こちらも地味ながら味のある大人の城かもしれません。
2023年11月23日 21:44
★poniesさん、コメント有難うございます。

はい、ようやく福井に来て丸岡城は外せません。
やはり現存天守はできるだけ味わいたいものですよね。
確かに、石垣も大事です。
派手さはないですが、風格と味わいのある天守と石垣だと思いました。
2023年11月24日 13:39
龍翔博物館
面白い形状の建物ですね。
塔の形がいいですね。
当時としてはかなり目立ったと思います。
窓がぐるっと周囲にあって、ユニークな外観ですね。
丸岡城
木造のお城・・魅力的ですね。
石瓦の写真をみていると古さを感じます。
OZMA
2023年11月24日 15:21
東尋坊には行けなかったですが、その代わり丸岡城はたっぷりと見学することが出来ました^^
そうそう、天守閣の狭い急な階段の上り下りは、本当に怖ったです^^;
2023年11月24日 18:51
私は紅葉の季節に丸岡城に行きました。ちょうど2度目の登場でしたね。福井に行けば、丸岡城や越前大野城、一乗谷朝倉氏遺跡は城好きにとって外せないです。( ^_^)
私もいろいろ調べて行くんですが、このレトロ建築は知らなかったです。
2023年11月24日 20:59
★nobaraさん、コメント有難うございます。

そうでしたね、丸岡城へ行かれてましたね。覚えています。
桜の紅葉が綺麗で彩られていましたか。それもいいですね。
さすが、様々な花々の記憶が蘇るのですね。
はい、天守は外観は2層のようで、中は3階建てですね。
ほぼ直角の階段、頑張って登りましたか。
確かに苦労する方はいると思います。特に女性はそうではないですか。
今回は、サポートのスタッフがいましたよ。
天守閣からの眺望もいいですね。ここにイケメンの本多成重がいました。
それよりも、「一筆啓上 日本一短い手紙館」の作品の方が美しいかなと思えます。共通通入場券もありましたね。
2023年11月24日 21:12
★アルクノさん、コメント有難うございます。

はい、三国湊も北前船の寄港地でした。
当時の繁栄は、今から想像するのは難しいですが、確かにそういう時代があったのでしょう。古い町の赤い格子戸は、趣がありますよね。
「かぐら建て」は、三木市にも残っていましたか。
昭和46年に働き始めたのですか。それはそれは。
ここで、三国バーガー。手軽に美味しく食べられるのがいいです。
いつか、丸岡城にも行かれて下さい。
急な階段は確かに梯子状態。紐が無いと大変だったと思いました。
そこから、私は「短いLINE」。今では短い手紙も書かなくなりましたよね。
2023年11月24日 21:15
★tamiさん、コメント有難うございます。

そうですね、今回は三国湊の街歩き。
tamiさんは、あまり街歩きのシーンは無いですよね。
北前船の寄港地はどこも栄えていたのでしょう。酒田もそうですよね。
丸岡城が短い手紙ゆかりのお城とは、私も今回訪れて知った次第です。
2023年11月24日 21:19
★コスモスさん、コメント有難うございます。

そうでしか、三国湊も旅先の候補に挙がっていたのですか。
確かに、いろいろあって迷いますよね。当然、時間も限られるわけですから。はい、ここは北前船の寄港地で賑わったところ。
三国祭りの山車蔵もなかなか勇壮ですよ。
坂井市龍翔博物館には、時間があれば中もじっくり見学したかったです。
展望台も登りたかったです。
丸岡城の石垣は野面積み。素朴ですが重厚な石垣でした。
急な階段も特徴的。古い天守であることをあらためて実感しました。
2023年11月24日 21:25
★ekoさん、コメント有難うございます。

北前船で繁栄した三国湊。今ここが三国湊きたまえ通りとして、かつての街並みを一部再現しています。
木造家屋に赤い格子戸、かぐら建て、実に趣がありました。
大正時代の洋館旧森田銀行本店も当時は非常にハイカラだったでしょうね。
「三國バーガー」はご当地グルメ。
手軽に美味しく楽しめる人気メニューでした。
丸岡城は、現存12天守の一つ。
かつての国宝が、今は重要文化財です。
内部の急階段や石瓦など、古い天守の様相が特徴的でした。
「一筆啓上 日本一短い手紙館」は、私は外観だけ、こちらもじっくりと味わいたかったです。妻はこちらだけでしたが。
2023年11月24日 22:34
★かるきちさん、コメント有難うございます。

はい、三国湊きたまえ通り。どうもこの名前に惹かれてしまいました。
かつての繁栄がしのばれる場所ですよ。こちらも丸岡城も両方とも行こうと思っていました。でも、確かに丸岡城の方が優先度が高かったです。
急な階段は実に特徴的。これぞ本物のお城といった感じでした。
おそらく、限られた人しか登らなかったのでしょう。
2023年11月24日 22:38
★narayama2008さん、コメント有難うございます。

そうですね、三国湊きたまえ通り、レトロで風情ある町並みを再現していました。かつての繁栄は、今の想像以上なのだろうと思います。
丸岡城は現存12天守の一つ。だから私にとって外せないお城です。
ようやく行くことができました。
ここの城主の本多成重、こんなイケメンのはずはないのに、これでイメージしてしまう人がいるのでしょう。
本多作左衛門の長男なんですね。
はい、大河ドラマ「徳川家康」では長門裕之さんが演じていましたね。
おかげで思い出しました。
2023年11月24日 22:41
★かっちゃんさん、コメント有難うございます。

はい、丸岡城は現存十二天守の一つ。貴重な本物の天守です。
弘前城、松江城、松本城、彦根城、そうですね。私も訪れました。
いずれも階段は急ですが、丸岡城が一番急かもしれません。
派手さはないですが、落ち着いた味のある天守です。
私も、日本一短い手紙は本多重次の手紙ということを今回知りました。
確かに人柄が伝わってきますね。
2023年11月24日 22:44
★ジュンさん、コメント有難うございます。

福井の旅、歴史的な名所はいろいろありますね。
もちろん、全部訪れることなんてできないので、迷いながら回りました。
三国には、賑やかな花街があったそうです。
今では信じられません。
マッシュルーム型のドームの博物館は、リニューアルしたばかり。
本当は訪れたかったです。
丸岡城の石瓦は本当に特徴的ですね。
雪国らしいです。
2023年11月24日 22:49
★komichiさん、コメント有難うございます。

はい、三国湊きたまえ通り、地味ですがかつての繁栄を想い起こす歴史を感じる街並みでした。そんなギャップのある場所に行ってみたかったのです。
「三國バーガー」は、地元の名物。でも最近のはずですね。
丸岡城の天守台の石垣は野面積み、初期の石垣ですね。
おっしゃる通り、武骨で粗削りですが重厚ですね。
屋根も石瓦、渋いなと思いました。
天守台の窓からの景色も実に気持ち良かったです。
2023年11月25日 09:24
★ゆうさん、コメント有難うございます。

はい、龍翔博物館は非常に面白い形状の建物で惹かれました。
知らなかったのですが、丘の上に立つこの建築を思わず見に行ってしまいました。展望台にも登って眺望も味わいたかったのですが、、。
時間が無かったです。
そう、丸岡城へ行きたかったので。
本物の城、やはり歴史の風格を感じました。
石瓦が特徴的ですね。
2023年11月25日 09:26
★OZMAさん、コメント有難うございます。

東尋坊には行けずとも丸岡城はたっぷり見学されましたか。
日本百名城であり、現存12天守ですからね。
天守の狭い急な階段の上り下り、記憶に残る角度ですね。
2023年11月25日 09:28
★壬生里さん、コメント有難うございます。

紅葉の季節の丸岡城、それもいいでしょうね。
特に桜の木が多いので、桜の紅葉なのでしょう。
福井には、外せないお城が幾つかありますか。
確かにそうですね。
それら全て、三国の発展とともに城下が栄えたのだと思います。
2023年11月25日 16:26
三国湊は三津七湊の一湊ですね。秋田港の前身である土崎湊も三津七湊の一湊で、どちらも中世には日本十大港の一港でした。近世には北前船の寄港地として繁栄したことも同じですね。ただ秋田港周辺には藩政時代の歴史を感じさせてくれる物は残っていませんが、三国湊はかつての面影が大切に残されているのが素晴らしいですね。三國バーガーは何かの特集記事で読んだ覚えがあります。地元産のラッキョウが入っているのですね。食べてみたいです。丸岡城も素晴らしいですね。丸岡城は勝家が越前を支配していた時代に築城された城だったと思いますが、賤ヶ岳の戦い、北ノ庄城の戦いの後は城主が変遷したのでしょう。江戸時代は本多氏ですか。本多氏は家康の時代にはすでにいくつもの家系に分かれていて私の頭の中では整理がついていません。重次の家系を含むいくつかは藩政時代に改易されてしまいましたが、それも歴史ですね。
2023年11月25日 19:32
★降魔成道さん、コメント有難うございます。

そうですね、三津七湊ですから室町時代から主要な港であったということですね。三国湊は北前船が確立する前から、朝倉氏や柴田氏の領国経営にも大事な役割を果たしたのでしょう。
秋田の土崎湊もそうでしたか。今の秋田港周辺なのですね。
三国湊も、現在残されている古い建築の多くは復元されたものだと思います。観光振興の一環でしょう。
それも、地域の特徴を生かした戦略ですよね。
そこには、三國バーガーもあって、、。
一方で、丸岡城は内陸にあります。
以前は、柴田勝家の時代に建築された日本一古い天守といわれたこともありましたが、今は寛永年間ということ分かってきたそう。
やはり江戸時代は本多氏の時代ですね。
資料館に家系図がありましたが、本多氏の家系は多岐に渡り非常に複雑ですね。
2023年11月27日 23:41
北前船はいろんな所に出てきますが、改めて物だけでなく文化や街づくりにいろんな影響があったんだなぁと思いました。
龍翔博物館も特徴のある素敵な建物ですね。
丸岡譲はずいぶん前に行きましたが、石瓦は印象的でした。
天守に続く階段、忘れていましたが、こんな風に作っているところはあまり見たことがないです。後に作ったのでしょうね。
現存してる天守の階段は急で、上り下りが大変ですよね。
最上階の「天井の間」のパネル、お城ファンにとってはどうなんでしょう。ミクミティさんのように理解を示す優しい方もおられるとは思いますが、賛否両論ありそうに思いました。
「一筆啓上 日本一短い手紙館」は見たことがなかったですが、それもそのはず、私が行ったのは2015年よりもっと前でした。
町おこしのためいろいろ工夫されてるのですね。
2023年11月29日 11:45
明治・大正時代の建物は和洋折衷のものが多いように思います。
中に入ると日本建築の良いところを見つけられたり、外観は洋の明るさを感じます。
北前船が寄航した地はその恩恵を受けて発展したんですね。
丸岡城は知りませんでしたが、城壁も立派でしっかり天守の威厳を保っているんですね。
2023年11月30日 18:35
こんにちは

日本一短いLINEも
お互いに心が通じ合ってこそですね
大切な天守閣
しっかり守っていきたいものです
2023年12月01日 23:38
★すずりん♪さん、コメント有難うございます。

そうですね、日本海岸を旅すると北前船の寄港地にあたりますね。
当時の物流の大動脈だったことに、あらたまて思いを馳せます。
文化や街づくりに影響があったのは間違いないですよね。
龍翔博物館は、ユニークで美しい建築。
つい引き寄せられてしまいました。
次は、丸岡城。やはり以前行かれたことがありましたか。
天守の石瓦や急な階段は時代を感じさせます。
最上階の「天井の間」のパネルにイケメンの武将。
もう慣れました。
我々も美男・美女の俳優が演じる歴史ドラマを観て育った世代。
批判はできませんよ。
「一筆啓上 日本一短い手紙館」はなかなか面白い企画だなと思いました。
2023年12月01日 23:42
★コマダムさん、コメント有難うございます。

そうですね、明治・大正時代の建物は和洋折衷が多いですね。
旧森田銀行本店はまさにそんなレトロが美しい建築でした。
三国湊は、北前船がメインの寄航地の一つ。
当時の交易の恩恵は計り知れません。陸上物流なんてほどんど無かったのでしょうから。
丸岡城は地味ながら、お城ファンにとって有名な場所。
古い天守の特色を残して魅力的でした。
2023年12月01日 23:46
★無門さん、コメント有難うございます。

いまやLINEは、日本一のコミュニケーションツールかも。
短いメッセージも多いですよね。いや文字無い、絵文字もたくさん。
本当に時代とともに変わるのが面白いです。
丸岡城の天守、確かにずっと残していって欲しいです。
2023年12月21日 19:48
三国に行ったのはだいぶ前のことなので、ほとんどおぼえていません。
龍翔博物館の特徴的な建物は記憶があるので、たぶん行っていると思います。
(当時は資料館?)
丸岡城は最古の現存天守といわれてますよね。
なかなか公共交通では行きづらいのですよね。
僕が数年前に行ったときには、福井市からバスに乗りました。
丸岡駅前からは出ていないようです。
本多重次の墓が、たしか僕の家の近くにあったような・・・。
(行ったことはないのですが)
2023年12月24日 21:26
★家ニスタさん、コメント有難うございます。

やはり、以前に三国へ行かれましたか。
その時に、龍翔博物館の前身の資料館へも立ち寄りましたか。
そうですよね、目に入ると行きたくなってしまいますから。
最近、丸岡城は最古の現存天守ではないと言わるようになりましたよ。
新たな研究結果が出てきたようです。
本多重次の墓は、取手市にあるようですね。
2024年01月08日 13:29
国道8号を直進したり、我谷や山中からの364号を通るので意外に丸岡城は数えるほどですが、やはり行くごとに廻りが整備されて観光度が上がっていますねえ。古式の天守ながら寛永期に造営された隅櫓に同じ材料を使用しているから寛永築城とか、福井地震での廃材使用の再建とか言われますが、北陸では唯一の現存天守には変わりなく、個人的に慶長の様式を残す天守の姿は好きな天守の三本の指に一つです。
しばらく丸岡を訪れていないのですが、ここの前に丸岡城が築城された吉原寺跡は白山信仰の発祥地みたいなところですし、曹洞宗・永平寺が出来る前、道元に合流した日本達磨宗の北陸本拠もこの辺り。ゆっくり廻ってみたいちですねえ
2024年01月08日 16:40
★つとつとさん、コメント有難うございます。

やはり、何度も丸岡城へは行かれいるのですね。
行く毎に観光度が上がっているというは、納得です。
重要な観光資源を活用しようと意図を、どこへ行っても感じますね。
丸岡城の天守は、北陸唯一の現存天守ですから。
その古さも注目点ですね。現在は寛永期に造営とされているようです。
ただ確かに慶長の様式を残すのが特徴的ですね。
吉原寺跡は知りませんでした。白山信仰は奥深いですね。

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