福井駅から徒歩で歴史上の人物像を巡って
令和5年(2023年)8月中旬、会社の夏休みに私が出かけたのは福井県。
翌年(2024年)3月には、北陸新幹線が福井・敦賀まで開通するのは知っていましたが、その前に訪れたのです。実は神奈川県民にとっては、この新幹線延長はあまりメリットが無いと思っていまして。新横浜から東京駅経由で行くのも、新横浜から米原経由で特急で福井に行くのも、時間はほぼ変わらずおまけに料金は高くなるでしょう。そこで混みあう前にと、真夏の福井の旅を決行。越前の歴史に触れようと。ただ、暑いのもありましたが、巨大な台風7号の日本列島直撃の影響に不安を覚えつつの旅となりました。既に季節は秋となりましたが、これからしばらくは、夏の福井の旅のレポートを綴らせて下さい。
東海道新幹線のひかり号から、米原(まいばら)で北陸本線の特急しらさぎに乗り換え、福井へと向かいました。
福井駅に降り立って、まずは西口の駅前を散策。
立派で大きなターミナル駅ですが、その壁面にいっぱいに怪しい絵が描かれています。
正確に言うとラッピング。これらは全て福井県内で発掘された恐竜だとか。
もちろん「福井駅」という表示もありますが、「DINOSAUR KINGDOM FUKUI」という英語表示も。
はい、「恐竜王国 福井」ということですね。県の玄関口で大胆に主張しているのですね。
ですから、駅前を歩いてるとこんなトリックアートのような壁画が幾つかあります。
なかなか微笑ましいです。これがフクイラプトルで、後ろがフクイサウルスだそう。
この2匹は、駅のローターリー内にある恐竜広場にもいます。
これはフクイラプトルですが、30分おきに大きな声を上げ動き出します。肉食恐竜だそう。
丁度この時も、動き出し、子供たちが釘付けになっていました。
これだけでなく、巨大な首長竜のフクイティタンもいます。全長10m。
背景に、未来的なプラネタリウムのセーレンプラネットやショッピングモールのハピリンがあって、その時代のギャップになんとも不思議な感覚に。
駅前でいきなり、福井県も粋なことをやるなと感じました。
まあ、これも間違いなく福井の歴史の一頁ですが、ちょっと私にとっては古すぎます。人間の歴史に触れたくて、、。
そこで、福井駅の東口への足を運びます。
そこのロータリーには、典型的な銅像が2体ありました。
立像が、第31代内閣総理大臣の岡田啓介(おかだ けいすけ)、胸像がその秘書官であり義弟でもあった松尾傳蔵(まつお でんぞう)です。
ともに福井県出身の軍人であり政治家ですが、あの二・二六事件で襲撃を受けたことで知られますね。容貌が似ていたため松尾が岡田総理の身代わりになって殺害されたことは昭和の暗い歴史のひとつ。忘れてはいけないことでしょう。
ここからは恐竜ではなくて、福井駅周辺の歴史上の人物像を巡って散策したのです。
まずは西口から歩いてほどなく現れる福井城本丸のお濠端へ。
広い内堀ですね。立派な石垣に上に櫓(やぐら)はなく、今は桜の木が並びます。
そこにアブラゼミの鳴き声が響き渡ってしました。
この一角に、2体の銅像が。「横井・三岡旅立ちの像」です。
右が熊本藩士の横井小楠(よこい しょうなん)と左が横井を師匠と仰ぐ福井藩士の三岡八郎(みつおか はちろう)。明治期の由利公正(ゆり きみまさ)です。
安政5年(1858年)に2人が九州に旅立つところを描いたのだとか。この後、福井藩の交易ルートが確立し、幕末の雄藩としての財政が強化されたのです。
ここから御本城橋(ごほんじょうばし)を渡って、今は福井県庁になっている、かつての福井城本丸へと進みました。
県庁前には、ちょっと造形的な馬上の武将の石像が。
徳川家康の次男であり越前福井藩の祖、結城秀康(ゆうき ひでやす)です。
秀吉の養子となったり、徳川家ではなく結城家の家督を継いだりして、将軍にはなれず、越前藩主に。家康よりずっと早く亡くなった人生でした。とはいえ、現在の福井城の基礎は結城秀康から始まったはず。
福井県庁と福井県警察本部の合間を通り抜けると、奥に蓮の池があって、そこに福井城の天守台跡があります。
結城家から松平家に改姓し、徳川御家門(ごかもん)の筆頭の天守がここにあったのですね。
真夏の日差しの中、既にかなり汗をかいていましたが、既に花の終わった蓮にとまる赤とんぼに少し癒されました。
暑くても近くの石段を登りました。史跡めぐりの興味は尽きませんから。
そこには、こんな芝生の空間が広がっていました。
江戸時代初期には、ここに4層5階建ての壮大な天守が建っていたはず。今は礎石が残る静かな広場のようなたたずまい。
そして、天守台のすぐ近くには、こんな綺麗な井戸がありました。
これは外せない。「福の井(ふくのい)」です。福井の地名の由来と伝わる井戸ですから。
福井城の築城前からあったそう。やはり現代でも大事に残されているのですね。
ちなみに、かつての地名「北ノ庄(きたのしょう)」の「北」が「敗北」を連想させ不吉だとされ「福井」に変えられたのは、3代藩主 松平忠昌(ただまさ)の時代だったとのこと。
そんな城主も通ったであろう御廊下橋(おろうかばし)を西に抜け、内堀沿いに散策。
少し歩いたところに福井神社があります。
福井神社は昭和18年(1943年)、つまり戦時中に創建されたそうで、第16代越前福井藩主、松平慶永(まつだいら よしなが)を祀ります。
ですので、その本殿の脇にはこんな銅像があります。

幕末明治維新の激動の時代に活躍した名君として、また松平春嶽(しゅんがく)の名で有名ですよね。
徳川御三卿のひとつ田安家の生まれでありながら、徳川の世から明治維新へと歴史的な転換に大きく貢献した一人。
当然ながら、地元の英雄として愛されているのを感じました。それは現在でも続いていると。
そんな藩主が暮らす御座所があったお城の西側エリアは、現在、中央公園として整備されています。
かつてのお濠に石畳が敷かれイベント広場になっています。平成30年(2018年)に全面リニューアルされたそう。
向うに見える警察本部や県庁のビルが、かつてはお城の中心部だったのですね。
そして、この近くには、またしても有名人の銅像が。
逆光で陰になり顔が見えませんが、これが岡倉天心(おかくら てんしん)の像です。
日本の伝統文化や美術を守り世界に発信した功労者、天心も、幕末の文久2年(1862年)生まれの越前福井藩士だったのですね。
この銅像の背景に写る神社が、佐佳枝廼社(さかえのやしろ)。
その拝殿前は、15万羽という折り鶴で彩られていて荘厳なたたずまいでした。
もともとは福井城の城内社でしたが、明治に入って、徳川家康、結城秀康、松平慶永が合祀されたそうです。
と、ここまでは江戸時代の福井の歴史を辿る散策でした。
さあ次は、もう少し時代を遡った戦国時代の福井へ。そこで、南へ400mほど移動。汗をたらしながら歩きましたよ。
そこにあるのが柴田神社。
そう織田信長の重臣、柴田勝家を祀った神社です。
その猛将ぶりを彷彿とさせる銅像が印象的です。
天正3年(1575年)、勝家はこの場所に北ノ庄城(きたのしょうじょう)を築城。
スペイン人宣教師ルイス・フロイスが驚くほど壮大な9重の天守を持つ城だったとか。
しかし、天正11年(1583年)には、羽柴秀吉に攻められ、勝家自ら火を付けて燃え落ちたのです。
今、当時の遺構は一部がわずかに残るだけ。

北ノ庄城の跡地に、後に越前へ入った結城秀康が更に広大な福井城を築城し直したから。
一方で、この柴田神社でひときわ存在感を放っていたのがこの銅像。
ご存じ、信長の妹であり、柴田勝家の妻となっていたお市の方です。
スリムな立ち姿の綺麗でピカピカの銅像、ちょうどお化粧直したばかりだったでしょうか。
戦国時代の絶世の美女だったことにあやかって、柴田神社では「美(モテ)祈願」ができます。
だから銅像も美しくないと、そんな神社の目論見も透けて見えるような気がしましたが、、。
更に、この3姉妹も忘れてはいけません。
左から、茶々(ちゃちゃ)、江(ごう)、初(はつ)の銅像。
彼女らもここで少女時代を過ごし、その後は天下人に嫁ぎ歴史の表舞台へ登っていきました。一番小さい、江は3代将軍、徳川家光を生むわけですから。
ただ、ここは母と死に別れた悲しい思い出の地であったでしょう。
そんなことに思いを馳せながら、隣接する資料館を見学し、更に近くの川辺へと歩きました。
大きな川は、足羽川(あすわがわ)。
川の向こうには、こんもりとした足羽山(あすわやま)が見えます。
公園や遊園地や博物館などがある市民の憩いの場であると同時に、ちょっとミステリアスな山。それは後程。
ここに架かる橋は、幸橋(さいわいばし)といいます。
江戸時代を通して、福井城の中心部へ繋がるので、ここに橋を架けることは許されなかったそうですが、幕末になってある人の提案でようやく橋を架けることになったとか。
その人こそ、福井藩士の三岡八郎(みつおか はちろう)でした。
ここにも立派な銅像が建っていました。
前述の通り、横井小楠に師事し福井藩の財政を立て直した三岡八郎は、明治初期には新政府で日本全体の財政を担う存在に。
更に、由利公正と名乗るようになり、五箇条の御誓文の原案を作成したり、初代東京府知事となったりと活躍しました。
ちょうど、この前の道路を渡ったところに、三岡の屋敷があったそうです。盟友の坂本龍馬も何度となく訪れたことでしょう。
さて、ここから足羽山の方へ足を進めました。
お寺が多い道を進んでいくと、こじんまりとしたお墓がありました。
ここは西光寺(さいこうじ)。柴田勝家とお市の方のお墓でした。
ここでお参り。秀吉の祐筆、山中長俊(やまなか ながとし)が建立したと伝わります。
ここまで足を伸ばす人は、明らかに歴史好きですよね。ただ、NHK大河ドラマ「どうする家康」の紀行巡礼で紹介されたので、訪れる人も増えたでしょう。実は私もその一人。
そして、ここからほど近い公園の名は、左内公園(さないこうえん)。
この名前からピンときます。そう、福井藩の幕末の志士、橋本左内(はしもと さない)の銅像があります。
頭脳明晰で松平春嶽の側近として仕え、他国の志士たちと活動を共にするも25歳の若さで安政の大獄で倒れた。
その短くはかない人生でありながら、地元の偉人として愛されていることがよく分かります。
銅像や石碑の奥に、橋本左内および橋本家のお墓がありました。
こうやって福井の市街地や少し郊外を散策するだけで、多くの歴史上の人物像に出会うことができした。
特に、戦国時代や幕末といった歴史の変わり目に、福井にゆかりある人物が数多く現れてきたことを実感する街歩きでした。
最後に、夕暮れ時に少し歩いたところにある百坂(ひゃくざか)という石段を上がり、足羽山に登りました。
足羽山には数多くの古墳があったり、古代から越前の名石として使われた笏谷石(しゃくだにいし)の産地でもあります。
炎天下の下、一日歩き回って疲れがたまっていましたが、力を振りしぼって歩いたのです。
それは、もうひとつの像を見たかったから。
大きな像が、山頂古墳の上に立っていました。もちろん笏谷石で造られた石像が。
周囲の広場にある天魔池(てんまがいけ)辺りは、羽柴秀吉が柴田勝家の北庄城を攻めるための本陣を置いた場所だったとか。
今は自然史博物館があって、端正に花木が植えられて三段広場として整備されています。
その上に登って、この像を間近で見上げました。
第26代 継体天皇(けいたいてんのう)の石像です。威厳がありますよね。
天皇家が25代で途切れそうになった時節、越前で育った傍系の男大迹王(おおとのみこ)が即位したと伝わります。
58歳での即位で、82歳まで生きられたとか。継体天皇がいなかったら現代に連なる皇室もなかったかも。
実際はどんな史実があったのか。そんな歴史ロマンを感じながら、真夏の一日の福井での歴史散策を終えました。
Historic statures in Fukui, Fukui, Japan
この記事へのコメント
からのフェリーで小樽に帰り少しだけ知識が、昔は浅井長政の領土で信長に
滅ぼされ柴田勝家の領土に、北前船の寄港地で京都に近く繁栄した場所の様
ですね、新幹線も通りあの辺も便利になりますね、懐かしく拝見しました。
8月中旬の福井ですか、内陸地ほどではないにしろ暑かったでしょうね。
福井県と言うと、今は確かに「恐竜王国 福井」なんでしょうね。
でも、私が行った頃は恐竜王国では売り出し(?)てなかったと思いましたし、定番の東尋坊とか永平寺を周った記憶が。。w
こうして歴史的偉人の銅像巡りするのは、ミクミティさんが歴史好きならではでしょうね。私も城とかの歴史的建造物なら好きなのですが。。ww
でも、こうして見ると、福井に歴史的偉人の銅像って多いのですね。
自分も北陸新幹線が金沢に来る少し前に行きましたが、東尋坊や永平寺だけでした
恐竜関係をじっくり見たいと思っているのですが、なかなかチャンスがありません
福井の駅舎や駅周辺にアチコチ恐竜がいるようで、なんだか歩いて見るだけでも楽しそうですね
また、歴史が好きな方にも良さそうな街ですね
自分は歴史よりもソースかつ丼や越前そばでした(笑)
駅前の恐竜群、微笑ましかったですね。
私たちもその辺りを散策しました。
先にミクミティさんのレポを見て行けばよかったような(笑)
北の庄の面影も感じられましたよね。
結構、駅前の散策は楽しめました。
越前蕎麦に一心不乱に駆け付けて
凄く並んだ思い出がよみがえります。
さて? 次はいずこからのレポートですか?楽しみです。
北陸新幹線が福井まで延長されるそうですが、
神奈川県民はあまりメリットはありませんね。
私も福井へは米原経由で行きました。
混み合う前に行かれたのは正解ですね。
福井駅前は恐竜王国らしい広場になっていますね。
福井城本丸が駅から近い所にあるんですか。
歴史上の有名人が銅像が多いんですね。
駅周辺だけでこんなに見どころがあるとは知りませんでした。
やっぱりミクミティさんの記事は詳しくてよく理解できます。
私も福井城跡、北の庄城跡、一乗谷城跡、(一乗谷朝倉氏館)
丸岡城、(日本一短い手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな
馬肥せ」で名が通る)等を観光しました。
8月末ではまだまだ猛暑だったでしょうね。暑い中お疲れ様でした
テーマパークみたいになっていることは、
最近よく話題になりますね。
いっそ口から噴水でも出たらもっと面白いかな
なんて、無責任な事を考えてしまいました。
銅像で気になるのは、茶々・江・初の三姉妹像と
継体天皇像。前者は、美少女スター三姉妹の豪華さに
見惚れますし、後者は、古代史のロマンに心ときめきます。
遥か遠い昔、越前は海を越えた半島との交易で
富を蓄え、鉄の分野でも文化先進国だったんでしょう。
恐竜にしても、人間にしても、やっぱり
歴史のある街は面白いですね。
今年の夏は日本海側といっても暑かったですね。
北陸新幹線で東京から近くなる便利になるといわれていますが、東海地方に住んでいる身には新幹線が出来てもメリットはありません。車で北陸自動車道か東海北陸自動車道で行くことになります。新しい新幹線に乗ることはないでしょう。新横浜から東京駅経由で行くのも、新横浜から米原経由で特急で福井に行くのも、時間はほぼ変わらないのですか。それなら安いルートの方がいいですね。
福井は恐竜王国、駅前もそうですが、いたる所に恐竜がいますね。
福井で銅像巡りですか。それだけ歴史上の人物を輩出しているということですね。大河ドラマでお馴染みの柴田勝家やお市の方、茶々、江、初の三姉妹は親しみがあります。
銅像巡りをしながらその時代へ思いをはせるなんてミクミティさんにとっては最高の旅でしたね。暑い中よく歩かれましたね。
今年の夏は福井も暑かったでしょうね。
友達が福井出身で暑くて実家に帰れないと話していました。
さすが恐竜王国、駅前も恐竜でいっぱい、素敵ですね。
福井出身の歴史上の人物やゆかりの人が多いのにびっくり
しました。真夏の歴史散策素晴らしいなと思いました。
福井県は敦賀からフェリーがある時に乗って小樽までと懐かしく拝見しました。
日本海側のキーポイントになる福井ですね
歴史の交差点の一つかもしれません
ロマンは尽きませんね
福井県は最近、恐竜でも有名になっているようですね。
私は一度も箸を踏み入れたことがない場所で
歴史上の人物に縁の深い土地だったのですね。
柴田神社の「お市の方」の像がとてもすらっとして美しく
なるほどと、眺めました。
佐佳枝廼社の15万羽の折り鶴も見事ですね~☆!
それにしても、くまなく見て回るミクミティさんの歴史探索、
おそれいりました~(笑)。
興味深く記事を読ませて頂きました。
福井は訪れたことがないのです。
私が知る福井といえば恐竜と柴田勝家の北ノ庄城です。
駅前のトリックアートのような壁画はリアルで楽しくて子供が喜びそうです。
歴史上の人物像もたくさんあるのですね。
岡倉天心や継体天皇が福井にゆかりのある人物だったことや、柴田勝家とお市の方のお墓があることは知りませんでした。
楽しい歴史散歩でしたね。
歴女としてはミクミティさんのブログは見逃せません。
次は福井ですか。
いいですね。
恐竜あり古墳あり、戦国時代に幕末といろんな歴史に登場するのは、ワクワクします。
そういうものを大事にしている土地柄もいいですね(^o^)
福井県は恐竜王国ですね
お市の最後の地・・・
詳しい解説でいろいろわかりました
人物像は興味深いです
今回は福井紀行ですね。
福井に観光で出掛けたのは、敦賀から越前海岸沿いに東尋坊までドライブしたぐらいでしたので、福井市内は歩いた事はなかったのですが、今は恐竜のモニュメントがあって「恐竜の町」をアピールしているみたいですね。
福井に関係のある歴史上の人物となると柴田勝家と朝倉義景ぐらいしかサッと思い浮かばないのですが、多くの人物が関わっていたのですね。勉強になりました(^^)
はじめ名前が分かりませんでしたが、Yoshiさんでしたか。
現役時代には、小樽から北陸へ行き来したのですね。
越前は、かつて浅野家の領土でした。それを織田信長が滅ぼして、柴田勝家が越前に入って、北ノ庄で治めることになったのです。
福井も、北前船のよる交易で繁栄した場所の一つですね。
それはこれからの記事で触れたいと思います。
今は、陸路が大事ですね。
8月中旬の福井、もの凄い猛暑と思っていましたがそれ程ではなかったです。たまたまこの週だったからかもしれません。
今の福井県は「恐竜王国 福井」が売りですね。
それは比較的最近ですよね。
定番は、東尋坊と永平寺。それは変わらないと思います。
私はその前に、福井市街の歴史的偉人の銅像巡りをしました。
かなり多いのでびっくりしたというのが正直なところです。
はい、今回は福井の旅。会社に夏休みに行きました。
やはり、東尋坊や永平寺に行きましたか。福井の定番ですね。
恐竜関係は、内陸の勝田まで行かないと見られません。
福井市内からはそれなり遠いですよね。
福井駅の駅舎やロータリーに、いろんな恐竜がいるような展示があって、楽しいですよね。
私も、一応、福井のグルメを味わいましたよ。
はい、夏休みに福井へ行きました。nobaraさんも以前行かれましたね。
駅前の恐竜群は、確かに目立っていました。
やはり見ておきたいですね。私はそこから福井城と北ノ庄城の面影巡り。
これをまずやりたかったのです。様々な歴史がありますからね。
越前蕎麦、私も食べましたよ。それは別途。
凄い並びましたか。
今回も歴史の旅、福井駅周辺の散策をいろいろ書いてしまいました。
北陸新幹線の福井までの延長、神奈川県民には微妙ですね。
やはり、米原経由で行かれましたか。
福井駅前のラッピングが特に迫力があるなと感じました。
私はここから福井城本丸へと向かいましたよ。
そこで、歴史上の有名人の像が多いことに驚きながら見物しました。
映画ジュラシックパークを思い出します。
福井には恐竜博物館がありますね。
それを計画していましたが、日帰りだとそこだけになりそうで断念しました。
ところが、写真を拝見すると福井駅周辺だけで楽しめそうです^^)
駅周辺の人物像は、放送中の大河に関連して、結城秀康が注目されそう。
銅像色のお市の方に茶々、目を引きますね。
これだと人物像巡りだけで、堪能しそう。
今回は歴史の勉強、ためになりました。
新幹線が敦賀まで延伸されると、関西からの客が増え、
更に福井が賑わう事と思います。
私の記事を褒めていただき光栄です。
やはり、福井に行かれた時、福井城跡、北の庄城跡、一乗谷城跡、丸岡城などのお城にも行かれましたか。そうですね、それはまたいずれ。
やはり歴史があってそれを巡りたくなりますよね。
そうですね、最近の福井は恐竜を売りにしていますね。
それは駅舎や駅まで感じられます。
まさか恐竜のトリックアートがあるとは。微笑ましかったです。
恐竜広場の恐竜もまさか動いて声が出るとは思いませんでした。
福井の地名が井戸の「福の井」。これは綺麗に整備されていました。
今は残っている遺構は少ないですが、かつての姿を想像しました。
継体天皇の存在は想像を絶します。本当に歴史は分かりませんね。
そうですね、最近の福井は恐竜を売りにしていますね。
それは駅前でで実感しました。なかなか大胆にPRしてますよね。
今回はそこから歴史上の人物像巡りへ。
これはかなり歴史好きの人でないと興味が湧かないかも。
私としては、結構な有名人ばかりだったので、暑さの中での楽しかったです。
そうですね、福井駅前は恐竜がいっぱい。
ちょっと不思議な光景が見られます。なかなか大胆にPRしてるなと思いました。来年の新幹線延長で益々盛り上がることでしょう。
動いたり声を上げたりはしますが、口から水は出てなかったです。
その後、様々な像を見て回りました。
柴田神社は銅像がいっぱい。三姉妹像があるのが微笑ましかったです。
ここは悲しい場所ですよね。
継体天皇はまさに古代史のロマン。
おっしゃっる通り、越の国は大陸や半島との交易があったことでしょう。
それよりはるかな昔、恐竜が栄えていたのですね。
次回のレポート楽しみにしています。
駅前はもう恐竜のテーマパークのようですね。
福井城には行ったことがありますが、私の思い浮かべる福井とはちょっと変わってきた気もしますが。
福井には多くのの歴史上の人物がいるのですね。
歴史に強くない私でも聞いたことがある人物も多いです。
銅像も多いですね。
戦国時代、幕末を面白く感じますが、変化があるのと大河ドラマでもよくとりあげられるからなのでしょうか。
これからの福井の旅のレポートで私がイメージする福井と一致するところが出てくるかもしれませんね。どこが出てくるかなぁ~
行ったところが出てくるのも、行ったことがないところが出てくるのもどちらも楽しみです。
そうなんです、北陸の夏、暑かったようですね。
ただ、私が出かけた時は、そこまで猛暑ではなかったと感じました。
北陸新幹線の延長、確かに東海地方の方にもメリットは見えないですよね。
岐阜からは、車で北陸自動車道で比較的行きやすいのではないですか。
福井は恐竜王国、駅前はそのPRで場でした。実際は、勝山周辺ですよね。
私は駅前から銅像巡り。
戦国時代や明治維新で活躍した歴史上の人物を多く輩出しています。
暑かったですが、その時代を想像したりして楽しめました。
はい、福井の夏も暑かったです。
ただ私が訪れた日は、そこまで猛暑ではなかったです。
駅前は、恐竜王国をPRする絶好の場なのかもしれません。
微笑ましかったです。
私は、歴史上の人物像巡り。
福井にゆかりのある人達が活躍した時代を想像しながら、ずっと歩いていましたよ。
一番上のコメント、Yoshiさんでしたね。
おしえて頂き有難うございます。
分かってよかったです。
そうですね、京都・近江から北の港に出ようとすると福井県になりますよね。
確かに、日本海側の交易のキーポイント、中継点なのでしょう。
歴史の動きもこの地に由来することも多かったのですね。
古代の歴史ロマンは尽きません。
そうなんです、福井県は最近、恐竜で有名になっています。
駅前でそれを大胆にPRしているなと思いました。
歴史的にも近畿や中京との繋がりがあって、大事な局面に登場するイメージですね。そんな歴史上の人物像を巡って楽しみました。
特に、柴田神社の「お市の方」の像は本当に美しかったです。
佐佳枝廼社の15万羽の折り鶴、これは見事でした。
福井へはまだ行かれていませんか。
私もしっかりと巡るのは初めて、新鮮な気持ちで旅しました。
今後もレポートしていきます。
いえいえ、北海道から福井へという訳ではないです。
6月と8月の別の旅行なので。
福井へは私もしっかり回るのは初めて。新鮮でした。
最近は福井といえば恐竜王国。駅まで大胆にPRしていました。
駅前のトリックアートの恐竜の像も、子供は喜びますよ。
とはいえ、歴史上の人物もいっぱい。
この夏、駅前から人物像を巡って楽しみました。
私のブログは見逃せません、と言っていただくと嬉しいです。
記事の中で この名前知っているという人が多く驚きました。
今や福井は恐竜で有名だからこんなに多くの歴史上の人がいるとは!
福井はメガネフレームと若狭塗くらいしか知らないのですが、見に行かれたんでしょうか?
今年の夏は福井でした。
暑い中の歴史散策、まあ旅に行けるのは限られているので。
恐竜、古墳、戦国、幕末、いろんな歴史にゆかりのある場所ですね。
畿内の日本海側の要衝でもあったと思います。
歴史上の人物の像が多くて驚いたのが正直なところです。
福井の勝山には、恐竜化石発掘現場がありますね。
それが今や、恐竜王国に。駅前で大々的にアピールしているなと思いました。
一方で、ここはお市の最期の地。
いろな時代の歴史に登場する場所です。
様々な人物像を巡って楽しめました。
ハイ、今年の夏は福井へ行きました。
敦賀から越前海岸沿いに東尋坊までドライブされましたか。
それも大きな移動で楽しかったでしょう。
福井市内をじっくり観光する人は少ないでしょうね。
やはり歴史好きでないと。
今の福井駅前は、恐竜だらけ。恐竜王国のPRがいっぱいでした。
私は暑い中、歴史上の人物像を巡って思いにふけっていましたよ。
福井県では永平寺へ行かれましたか。定番ですよね。
福井市街を観光する人はそんなに多くはないでしょうね。
ただ歴史好きには、なかなか楽しい所です。
こんなに歴史上の人物像が多いので。
幕末と戦国でゆかりのある人物が続々と登場しますからね。
はい、横浜からだと北陸新幹線の延伸のメリットは少ないかと。
今の福井駅前は恐竜だらけ。
恐竜王国のPRに熱心だなと思いました。
駅舎の壁から小型恐竜が出てくる。それが結構クリアで。
なかなか面白い駅だなと思いましたよ。
恐竜博物館があるのは勝田の方なので、福井の中心部からそれなりに遠いですね。確かに旅程はその距離を意識しないと。
私は、まずは福井駅周辺をじっくりと巡ることにしたのです。
戦国や幕末に活躍したゆかりある人物がいろいろ登場しますから。
人物像が多いのも驚きでした。
きれいな緑のお市の方と三姉妹の銅像。目を引きました。
新幹線が敦賀まで延伸されると、関西から福井へ来る客が増えますか。
そうですか、以前行かれた時は、福井駅前の恐竜は工事中でしたか。
今はそれが完成して、子供たちにとって楽しい場所になっています。
永平寺と一乗谷朝倉氏遺跡、はい、行きましたよ。
分かってしまいますね。
駅から観光タクシーでしたか。それはそれは、ラクチンですね。
やはり、柴田神社、福井城、養浩館庭園、福井神社へ行きましたか。
一緒ですね。
そうですね、今の福井は恐竜王国。PRにも熱心だなと思いました。
駅前の恐竜たちは微笑ましかったです。子供にたまりませんね。
福井城にも行かれましたか。今は、県庁と警察本部ですからね。
はい、それでも多くの歴史上の人物が現れたのですね。
そんな人物の像を巡るのが楽しかったです。
特に、戦国時代、幕末ですね。
これから、しばらくは福井旅行のレポート、それなりに回りましたので、徐々に公開させて頂きます。
そうですね、関西からは1本で行けても、関東からは遠く感じます。
横浜からは北陸新幹線のメリットもあまり感じず。
今回、行っておくことにしました。
駅前を巡るだけで、様々な歴史上の人物が登場しますよね。
そんな像を巡って散策するのが面白かったです。
福井は恐竜の方が有名になってしまいました。
ただ、鯖江や敦賀は通り過ぎただけでした、、。
そう言えば、孫が福井大学の工学部大学院に通っていてもうすぐ卒業、就職活動をしているところです。家に帰ってくるときは高速は使わず下道で帰ってくるそうです。
歴史散策、たっぷり堪能させていただきました。
福井県の印象はあまりありませんか。
だからこそ、最近は恐竜をアピールして恐竜王国として認知を図ろうとしているのでしょう。
お孫さっが、大学院をもうすぐ卒業ですか。
将来が楽しみですね。福井と愛知は直線距離は意外に近いのですよね。
福井は観光もしたことはあるのですが私にとっては
西日本への車旅行で一泊目の中継点のイメージなんです。
だから福井駅に立ったことはありません。
県をあげての恐竜って感じですね。
歴史的人物もほとんど知らずこれからじっくりと勉強させていただきます。
福井は西日本への車旅行で一泊目の中継点ですか。
確かに観光の派手さがあるわけではないですね。
だからこと、県をあげての恐竜をPRしている感じです。
結構、投資していると思います。
駅の近くに、これだけ歴史的人物の像があることが驚きでした。
駅周辺に恐竜。となると子供たちは喜びそうですね。
歴史的にはお市の方が印象に残ります。
3姉妹がたちが後々変化する時代にいろいろ関わってくると思うと
感慨深いです。
そうですね、福井では新たな外資系ホテルが建設中でした。
新幹線の延長でいろいろと変わっていくと思います。
やはり経済効果はあるでしょうね。
駅前に、恐竜がたくさんいるのが微笑ましかったです。
子供達にはインパクトがあると思いますよ。
三姉妹は1年だけですが、辛い思い出の場所だと思います。
夏の福井すごく暑いですよね。
暑い中、足羽山まで登ったり、精力的に動かれてますね。
僕は福井へ行くと、福井城と柴田神社くらいしか回らないのですが・・・。
足羽山にはずっと前に行ったことがあります。
以前福井へ行ったときに、
「由利公正を大河ドラマに」
というのぼりがたっていた記憶がありますが、ちょっと大河ドラマの主人公には地味すぎる(笑)ような気がするのですが、どうでしょう?
はい、真夏に福井へ行きました。
暑すぎるかと思ったら、たまたまでしょうけど、そうでもなかったです。
とはいえ、暑い中、かなり歩きました。
一日の最後に足羽山へ登ったのが非常にこたえました。
福井城と柴田神社がメインですね。
とはいえ、本当はじっくりと足羽山も巡ってみたいものです。
「由利公正を大河ドラマに」というのぼりはあったと思います。
個人的には、由利公正は、財政担当を大隈重信に追い出された感じがあって、むしろ大隈重信の大河を見たいなと思います。
早稲田の人も盛り上がるでしょう。
福井の柴田勝家人気は根強いですねえ。結城秀康・お市の方・朝倉氏などけっこう戦国関係の人物がいますし、新田塚や藤島神社に祀られている新田義貞もいる中で、パレードのメインは柴田勝家ですから・・
それにしても西光寺をご存知とは驚きでした。意外と知られていないんですけどね。。西光寺は柴田家の菩提寺としていますが、ついでにそこから500m程南に行ったところに、徳川秀忠・江夫妻が徳川家・織田家としてお市の方の法号にちなんだ菩提寺・自性院があります。観光地ではないのですが、供養碑があります。
継体天皇像は何度見ても面白い姿ですねえ。初めて見た時はクスッとしちゃいます。資料館の屋上が明日は山では一番高い位置で、もし次に機会があったら登ってみてください。そうそう動物園もあります^^;
福井市は戦災・震災で名所旧跡が消失や破壊を受けていて、古くから残る場所が分散していますが、何度行っても発見のある所で面白いですねえ^^
そうそう、次の大河は紫式部ですが、たぶん越前も舞台になると思います。国府のあった武生もなかなか良い所ですよ。
当然ですが、福井についてもお詳しいですよね。
私にとっては遠い場所、ようやく行けたという感じでした。
それが、こんなに恐竜をPRした県になっていて、駅前でそれを大胆に表現しているのに気合を感じました。
白山市民としては忸怩たる思いがありましたか。なんとなく分かります。
福井駅周辺の歴史的な人物としては、やはり柴田勝家人気は一番ですかね。
それでも、多くの歴史上の人物の像を見て回るのは楽しかったです。
新田塚や藤島神社へは行きませんでしたが、、。
西光寺は、大河ドラマで取り上げられていました。
自性院も中に入らなかったですが、ありましたね。
足羽山の継体天皇像。
これは見てみたかったのです。やはり何度も見ていますか。
もう少し時間があったら、足羽山をじっくり散策したかったです。
紫式部の大河ドラマ、越前も舞台になるでしょうね。
少し楽しみまです。