6月の道南海岸ドライブ、松前城から江差の開陽丸へ
令和5年(2023年)6月下旬の道南の旅、前回の記事で函館から松前までドライブして「道の駅 北前船松前」に到着。
今回は松前城のレポートから始めます。日本最北の藩の城、松前城も日本百名城のひとつ、是非訪れたいと思っていました。
海沿いの道路から城下通りに入り、そこから少し高台に上がったところに、現在の松前城の入口がありました。
カモメが飛び交い海風が吹く、ちょっと変わった雰囲気のお城だなと感じました。
門の幕に描かれた家紋には見覚えが、、。武田家の家紋の割菱(わりびし)が丸で囲まれています。
少し奥から振り返ると三層の天守が見えました。
これが松前城の天守。
戦後の火災後の再建でコンクリート製ですが、かつては国宝だったそう。
周囲には桜の木が多いですね。今は、桜の名所として知られる松前公園として整備されています。
6月でも様々な花が咲いていましたが、鮮やかなさつきが見頃で目を引きました。
こんなハート形の葉の部分を残しつつ花を咲かせる株があって微笑ましかったです。
お城の中に入ると、いきなり地下道があって天守の地下へと繋がります。
中は松前城資料館となっていて、アイヌ民族や松前藩時代の文化や歴史的物品などが展示されていました。
そこで、藩主の松前氏は遡ると武田氏の系譜であること、また正式名は福山城であったことなどが知れます。
天守の3階の窓から外をのぞくと、もちろん津軽海峡の海が眼下に見渡せます。
橋が架かっている部分が、かつて北前船が寄港した福山波止場(ふくやまはとば)。
ここが港を見下ろす位置だったことが分かりますね。
手前の芝生の広場がかつて本丸御殿があった場所でしょう。
それぞれの曲輪が、立派な桜の木で囲まれている様子も見てとれます。
海の向こうをズームアップしてみると、、。
弘前市の岩木山が薄っすらと見えるんですね。
かつて松前藩と弘前藩がともに、外国船へ備える北方警備担当の藩であったことを肌で感じました。
天守から外へ出て、本丸の方へ移動。
重要文化財の本丸御門と天守を見上げます。
そもそも、松前城は、徳川家康から蝦夷地の領地安堵を受けた松前慶広(まつまえ よしひろ)が、慶長11年(1606年)に松前藩の拠点として築いた福山館(ふくやまだて)がはじまりだそう。
その後時代は進み、幕府から北方警備を命ぜられていた松前藩が、幕末の安政元年(1854年)に福山館を大幅に拡張して完成させたのが福山城。広島の福山城と間違えやすいので、通称、松前城と呼ばれたとか。
その本丸からも当然、津軽海峡が見渡せます。
砲台を備えた松前城は、海上防衛を目的とした近代的なお城だったのです。
海をよく見ると、岩木山の右手にも薄っすらと陸地が伸びていて、右端が遠く青森県西部の深浦(ふかうら)町なのですね。
ここにあった南北を逆にした地図が、その位置関係をよく示していました。
地図にある深浦、鯵ヶ沢(あじがさわ)、三厩(みんまや)も北前船の寄港地。松前から見える距離だったんだと実感しました。
今度は、天守の東から北の方へも足を運びました。
明治8年(1875年)に取り壊された松前城でしたが、内濠の一角が残っています。
ここも桜の季節は綺麗でしょうね。
実は、松前城は明治元年(1868年)、旧幕府脱走軍の土方歳三を総督とする軍隊によって陥落されました。この辺りは激戦地だったはず。すなわち、松前城も箱館戦争の一つの戦場だったのですね。
海から攻撃する外国船を想定していたお城が、まさか日本人に陸地から攻められるとは。皮肉な歴史だなと思ってしまいます。
ここからすぐの北の丸には、松前神社がありました。
松前氏の祖といわれる武田信広(たけだ のぶひろ)を祀った神社で、明治12年(1879年)の建立だそうです。
立派な社殿は大正12年(1923年)の建設とのことですから、丁度100年ということですね。
この辺りはなだらかな平地で、更に奥へ歩いて行くと、松前藩ゆかりの寺院が並ぶ寺町になっています。
その一番奥に、松前藩主松前家墓所があります。
中に足を踏み入れると、ひっそりと厳かな雰囲気。国指定の史跡になっています。
石造りの霊廟が多いのが特徴的。藩主やその家族の墓、55基が連なります。
始祖の武田信弘は、蠣崎(かきざき)家に婿入りし、その後4代に渡って蠣崎氏を名のり、5代目の慶広の代になって松前氏と改名したそうです。そんなルーツをこの墓所で辿れます。
江戸時代の蝦夷地(えぞち)は米がとれず、石高が無かった松前藩は、1万石格の藩とされました。
小さな藩でも、甲斐源氏の武田氏に連なる家系であることを示したかったのかなと思いました。
そんな最果ての藩の城下町であった松前は、どんな様子だったのでしょうか。
それが分かるのが、少し歩いたところにある「松前藩屋敷」。
江戸時代の街並みを再現した小さなテーマパークで、松前城とセット券で入れます。
まずは、沖の口奉行所。
蝦夷地に出入りする船荷や人をあらためて徴税する藩の役所だそう。
そう、米もとれない藩でしたが、街は北前船の交易で非常に繁栄していたのです。
幕末には8千戸の建物と3万人もの人口があったとか。松前は北海道最大の街だったのですね。
城下には、大きな商家や旅籠(はたご)が連なっていて。
近江商人をはじめ各地の商人が、松前まで来て活躍していたのです。
ニシンや昆布などの蝦夷地の特産品と、米や味噌などの生活物資が取引されていたのですね。
こんな土蔵のある廻船問屋(かいせんどんや)が幾つもあったわけで。
当時、松前が一番の港で、その傘下の港だった箱館や江差(えさし)から物品が集まったそうです。
今は、様々な松前漬けがお土産として売られていました。
ここ「松前藩屋敷」は、当時の姿を再現しタイムスリップしたような興味深い場所でした。ただ、観光客は少なかったです。
外に出たところに、こんな綺麗な平原が広がっていました。
思わず美しいので撮影したのですが、これもタンポポモドキ。外来種のブタナだったのですね。ちょっと複雑です。
これで松前は終了。
既に午後3時頃。実は、これで函館へ戻るか、更に海沿いの道を進むか迷ったのですが、、。
日が長い6月末ですから。ふたたび国道228号線の海岸線ドライブで進むことに。
日本海を眺めながらずっと海沿いの一本道を。今度は北上です。
風力発電の風車が数多くありました。山と海の綺麗な風景が続きますが、車を停車する場所が少なかったです。
しばらくすると、遠く海の向こうに奥尻島(おくしりとう)が見えました。
海沿いの道を60キロほど走って、この道の駅へ停車しました。
ダイナミックなオブジェが建つ「道の駅 上ノ国(かみのくに)もんじゅ」です。
海沿いの高台にあって、ここから気持ちいい風景が見渡せました。しばらくここでお休みを。
そして、いよいよ第2の目的地、ここから10キロ程先にある江差(えさし)へと向かいました。
江差も、松前藩の重要な拠点だったのです。
到着してまずは、こんなオランダっぽい建物の前に停車。
これが何だか分かりますか。
これは、えさし海の駅。観光案内所も兼ねたその名は「開陽丸青少年センター」です。
そう、オランダ風なのは、この前に開陽丸記念館があるから。
平成2年(1990年)に幕末の軍艦「開陽丸」がここに原寸大に復元され、中は様々な遺物や展示品が並ぶ記念館になっているのです。
まさに江差でこれを見たかった。軍艦の中って見たことがありますか。
船外に向けた大砲や、船員が就寝するハンモックなど。結構リアルに復元されていて興奮しました。
制服を着た人形が置かれた船長室や士官室などもありました。
更に、海底から引き揚げられた、砲弾や拳銃などの軍備品から、食器などの生活品まで。
その本物が展示されているのです。
江戸幕府が発注した開陽丸は、オランダで建造され慶応3年(1867年)に日本に到着。当時最新鋭の幕府の軍艦として、風雲急な大阪湾の警備に当たっていたのです。そこで鳥羽伏見の戦いが勃発し、15代将軍徳川慶喜が江戸に逃げ帰ったのも、この開陽丸ででした。
どんな航海だったことでしょう。徳川家の世が終わる旅だったと思います。そんなことを甲板に上がって想像したりました。
明治元年(1868年)の8月、榎本武揚(えのもと たけあき)らによって開陽丸は他の軍艦を従えて品川沖から脱走、仙台から箱館に入ったことはよく知られていますよね。
寒さがだんだんと厳しくなる秋から冬、北海道へ向かったわけです。
松前を奪った旧幕府脱走軍は、次に江差を攻めるため開陽丸で江差沖へ到着。
既にもぬけの殻だった江差を無血占領するも、冬の猛吹雪に遭い、開陽丸は座礁しやがて沈没してしまったのです。
夢と希望に燃えていた旧幕府脱走軍は、ここで主力の軍艦を失い大いに落胆したことでしょう。
そんな悲劇の軍艦の切ない運命を感じさせる記念館でした。
今は、ちょっと錆びが気になる軍艦の甲板で。いつか改修できるといいなと思いつつここを後にしました。
最後に、少し高台にのぼって江差の街と港を眺めた時のことを簡単に。
江差の街中には、「いにしえ街道」と呼ばれる古い町並みがあって、北前船の交易で栄えた街の名残りを感じさせます。
街の勾配に建つこの旧中村家住宅なんて、本当に見事な商家の建築でした。
江戸時代から、にしん漁の商家や立派な蔵がここに建ち並んだとか。
ここから一段上がったところからは、江差の港をのぞむことができます。
海辺にかもめ島があって、小さな函館山みたいで少し函館に似た地形だなと感じました。
この海に、開陽丸はあえなく沈んだのです。日本到着後、約1年半後でした。
ここにある極端に曲がった松の木。
「土方歳三 嘆きの松」といいます。
松前から陸路で江刺に攻め込んだ土方も、ちょうどこの時到着して、ここで開陽丸が沈むのを涙を流し眺めたそうです。
近くにあった松を何度も何度もこぶしで叩き嘆いたとか。それで、この松はこぶができて曲がってしまったそうです。
凄い伝説ですね。この松の後ろには、こんな洋館が建っていて時代を流れを感じました。
旧檜山爾志郡役所(ひやまにしぐんやくしょ)、明治20年(1887年)に建てられた北海道庁の郡役所の庁舎です。
今は、江差町郷土資料館になっていますが、この場所が、時代が変わっても江差を見渡す大事な場所だったのだなと感じました。
今回、道南の歴史を巡るドライブ、どっぷり堪能して、帰りは内陸の道路を通って函館に戻ったのでした。
Matsumae Castle & Esashi, Hokkaido, Japan
この記事へのコメント
松前も行ってみたいとは思いましたが、少し遠いようで諦めました。
松前から岩木山が見えるんですか。
竜飛岬は見えましたか?
お米はとれなくても、北前船で繁栄していたんですね。
江差には海の駅があるんですか。
土方歳三の嘆きの松は凄い伝説ですね。
松前って桜の品種が多い所というイメージがありますよね。
サツキのシーズンだったのですね。
海越しのお岩木山、綺麗な姿でしたね。
深浦海岸の夕陽、なが~く眺めたことがあります。
ブタナは今や日本中を席巻していますね。
多摩墓地の辺りが凄い事になるんですよ。
「土方歳三 嘆きの松」
開陽丸が沈むのを涙を流し眺めた事に依るんですね。
あら、また函館に戻られたんですね\(◎o◎)/
松前城は子どもの頃、従姉妹と一緒に叔父に連れられて、桜を見に行った記憶があります。
当時、北海道ではお花見とジンギスカンはセットで、桜の木の下でジンギスカンを食べたのが強く印象に残ってます。
一方で、歴史的なことは知らないことが多くて勉強になりました!
あぁ、松前城ってこんな感じなんですか。川や山が近いのではなく、海が近いのですね。
確かに、これは海上警備の為の城って感じますし、綺麗に復元されていて雰囲気も良いですね。
城下の家並みや蔵も良いですね。江戸時代にタイムスリップしたみたいです。
復元された開陽丸も素敵です。錆びた帆柱・甲板も逆に良い味に感じます。
中にはハンモックも有って、歴史的に貴重な戦艦では有りますが、簡易宿泊所にも成りそうですね。ww
私も5月の中十頃、道南をドライブしましたが、
ミクミティさんの行かれたところとは全く違った場所でした~(笑)。
こうしてミクミティさんの旅の記録を眺めて、また違った魅力を感じました。
それぞれの興味で見どころが違うほど、多様な風景があることに
楽しくなりました~☆
松前城、趣きのある美しいお城ですね。
松前公園、6月、さつきがきれいでしたね。福山城とも
呼ばれていたのですね。天守の三階の窓からの景色が
とてもきれいですね。お城はいいですね。
松前城から江差まで道南海岸のドライブ、海沿いの道を走るのは気持ち良いでしょうね。
松前城はカモメが飛び交う海辺のお城、珍しいですね。ツツジが綺麗です。桜の季節もきっと素晴らしいでしょうね。
北海道は何回も行きましたがこちら方面は行ったことがありません。天守から望む津軽海峡が素敵、遠くに岩木山まで望めるんですね。
海からの外国の防衛を目的にしていたお城が旧幕府脱走軍に陸から攻められ陥落するとは皮肉な運命ですね。
北前船の交易で繁栄していた松前の商家や旅籠、廻船問屋などの建物に当時の様子が垣間見られるようです。
江差の開陽丸記念館も興味深いです。軍艦「開陽丸」の原寸大の復元が凄いですね。軍艦内など初めて見ました。大砲に就寝用のハンモックなどリアルに再現され、本物の砲弾や拳銃などの軍備品や生活用品などの展示も凄いです。
「土方歳三 嘆きの松」の伝説も曲がった松も凄いです。
松の後ろの洋館も美しいですね。
地図が衝撃的でした。観光地の案内板に
実際に使われてる地図なんですね。
なるほど、北海道側の視点で眺めると、
内地はこういう風に見えるのかと思いますし、
とにかく距離が近いという事がよく分かります。
岩木山がよく見える訳だと思いました。
ところで、一面ブタナの花の広がる景色は
素晴らしいんじゃ無いでしょうか。
ブタナは、要注意の特定外来生物ではありません。
それどころか、ハーブにも利用されてるし、
サラダなど食用にもなる有用植物です。
ラベンダーやジャガイモ等に近いケースと考えれば、
むしろ北海道らしい花景色という気がしました。
ブタナという名前は考えものですが…。
記憶が薄れていましたが、詳しい記事で懐かしくまた感動しながら 拝見しました。
映画に出演していたジロだったかな?ちょうどいたんです。
北海道の道はただただ長くまっすぐで、なのに事故が多いって不思議でした。
今も北海道はお隣の国からの脅威がありますね。
ニシン御殿は見ましたが 広いけれどただ眠るだけの場所って感じでした。
御殿に住んでいたのは親方だけですね。
今年の夏は、マイカーで北海道一周し、北海道の「日本100名城」(もコンプリートなんて考えておりましたが、新車買い替えやら体調不良やらで、実行できませんでした^^;
ミクミティさんの旅行記を参考に、来年に向けて計画を進めていきたいと思っています。
中は始めてみました。
ハンモックが並んでいたり
その隣に大砲が並んでいるのですね。
ちょっと不思議な感じですね。
幕末のいろんな歴史が詰まっていると思うと
壮大な時間の流れを感じます。
そうですか、10年ほど前に恵山岬まで行かれましたか。
私も検討したのですが、松前を選びました。やはり歴史に触れたくて。
函館からはそこそこ遠いですからね。
はい、松前から岩木山が見えました。
もちろん、竜飛岬も。ただ周囲の陸地で地形は分かりにくいです。
小泊岬の方がよく分かりましたよ。
かつての松前が交易で繫栄していた様子を想像しました。
それは、江差も同じだったのですね。
土方歳三の嘆きの松、おそらく本当に話だと思うのです。
海に面した松前城、結構カモメが多くいました。
今は桜の品種が多い松前公園となっています。
6月下旬なので、サツキだったと思います。
海越しのお岩木山、松前から見えて嬉しかったです。
深浦海岸で夕陽を眺めたことがあるのですか。それは良かったことでしょう。
ブタナの平原はかなり綺麗でした。多摩墓地もそうなのですか。
「土方歳三 嘆きの松」、この場所に土方がいたのは確かでしょうね。
子供の頃に、松前城へ行きましたか。
桜の時期は特に綺麗でしょうね。それは想像できました。
お花見とジンギスカンのセットなんて、やはり北海道らしいです。
私も松前と江差へ来て、当時の繁栄の歴史に触れることができました。
私も、松前城のイメージはあまりありませんでした。
海に面して、本州をのぞむ場所だったのです。
幕末に軍事上重要視された拠点となったのですね。
それまで、純粋に交易の街として繁栄していたこともよく分かりました。
江差で、開陽丸の復元も見たかったのです。
訪れる人は少なかったので、収益的に維持するのはなかなか大変そう、と思ってしまいました。歴史の哀愁を感じる場所でもありました。
5月中旬、道南をドライブしましたか。
おそらく、komichiさんが行かれた所にも行きましたよ。
太古の歴史を感じられる場所がありますよね。
次回の記事で触れたいと思っています。
日本最北の藩のお城、松前城へ行けて嬉しかったです。
海を臨む特別な場所だなと思いました。
松前公園、6月下旬でした。さつきだったと思いました。
今は鉄筋コンクリートですが、三層の天守。
重要な海岸防衛の拠点であったことがうかがわれました。
そうですね、松前城から江差まで道南の海岸ドライブ、気持ちいい時間を過ごすことができました。
松前城は海辺のお城、今は桜の名所でもある松前公園です。
咲いていたのは、6月下旬だったので、サツキかなと思いました。
やはり、この辺りに来る人は少ないですね。
はるばる来るのは歴史好きの人かなと思いました。
津軽半島や岩木山まで見えるのが嬉しかったです。
「松前藩屋敷」で当時の繁栄していた頃の街並みを見て、歴史の大きな流れを感じました。実は、江差も同じく交易で繁栄していたのです。
開陽丸記念館へ行ってみたくて。実際に甲板を歩けて満足しました。
内陸にあった「土方歳三 嘆きの松」。
おそらくこの伝説は本当だと思うのですよね。
そうですよね、南北逆転した地図はインパクトがありました。
松前の対岸の港町は、函館よりもずっと近かったのです。
松前の集まった商人たちは、こんな地図を頭に入れていたと思います。
岩木山も身近な存在だったのでしょう。
ところで、ブタナの花咲く平原の景色はかなり壮観でした。
びっくりするくらい綺麗でした。
ブタナは、要注意の特定外来生物ではないのですか。
ハーブにも利用されるなんて知りませんでした。
実は、あてそのままにしているのでしょうかね。
かつては、日本中をくまなくドライブされたのしょうね。
こちらもはるばる訪れましたか。
私の記事で、少しでの懐かしさと感動を覚えて頂けたなら嬉しいです。
そうですね、海沿いのロングドライブだったので、海岸の眺めも美しくて癒されながら過ごせました。もちろん目的地は歴史ある街。
そんな旅なので、その日は疲れは感じなかったです。
松前城は、海上防衛の拠点であったはず。結局その役割を果たせず、日本人によって占領されてしまうのですね。
ここが交易で繁栄していた当時の面影に触れられてよかったです。
「土方歳三 嘆きの松」、この伝説は本当のことだと思うのです。
かつて、北海道の大ドライブをされたのですね。
確かに、内陸は真っすぐな道が多いですが、海外沿いはくねくねしてましたよ。空いているのでスピードを出しがちで注意しなくてはなりません。
そうなんです、この辺りは今も昔もロシアの脅威があるのですよね。
そういう時代は終わりにしたいものです。
ニシン交易の繁栄も、もの凄かったのでしょう。
ニシン御殿は北海道の各地にあったんですね。
開陽丸を左手に見ながら進むと鴎島、よく覚えておられますね。
鷗島を一回りされて登られたのですか。
私は時間が無く、鴎島には寄らず開陽丸記念館を見学して、いにしえ街道へ渡りました。
確かに、北海道の西部には美しい海岸が多いいですね。
私は函館に宿泊していたので、函館に戻りました。
今年の夏は、北海道一周ドライブを計画していましたか。
それは壮大でしたね。私は函館周辺のドライブでした。
それで、五稜郭と松前城を訪ねました。
来年こそ実現するといいですね。参考にしていただければ光栄です。
当時の軍艦の中の様子、結構リアルで面白かったです。
ハンモックには寝ることができるようでした。
開陽丸記念館、はるばる訪れてよかったです。
やはりここまで行くのは大変ですから。
ここで沈まなかったら、少し日本の歴史も変わっていたかも。
そんな想像もしてしまいます。
松前城はかなり以前に一度行ったことがありますが記憶はおぼろげです。本丸から遠く青森の深浦まで見渡せるのですね。南北を逆さにした地図にはちょっとびっくりしましたが位置関係が良く分かります。松前藩主松前家墓所は初めて知りました。厳かな雰囲気の中で松前家のルーツがたどれるのですね。幕末の松前が北海道最大の街だったのは意外でした。北前船の交易や廻船問屋がいくつもあって賑わったのでしょうね。
松前城、入口に武田家の家紋、藩主は武田氏の系譜だったのですね。
桜の名所という事ですが、行かれた時はサツキがきれい咲いていたのですね。
天守からは津軽海峡、遠くには青森の岩木山まで望めていい風景だと思いました。
北海道には何度か行った事がありますが、松前はまだ行かずでしたので機会があればぜひ立ち寄ってみたいです。
日本海沿いのドライブ、数多くの風車がありましたか。北海道は海沿いに走っていると風車を見かける事が多いですね
道の駅では軍艦「開陽丸」が復元されていて内部も見れるのですか。これもぜひ見たいです(^^)
松前城もいいですね。火災で天守が焼けてしまったのは残念ですが再建されてよかったです。日本最北端の城が大切に守られてきたんですね。
天守から見える津軽海峡の景色が素晴らしいですね。遠くに岩木山も見えたんですね。天気がいい時はうれしいですね。
津軽海峡の方を眺める時に地図が普段目にする地図とは逆なのが何とも言えません。(小泊岬の近くが夫の実家です。😂)
海岸線のドライブも気持ちよかったでしょうね。開陽丸記念館の見学も興味あります。いにしえ街道はきれいに整備されていますね。(ストリートビューで見ました)土方歳三 嘆きの松も見に行きたいですね。
道南いいですね。
松前城へ以前行かれましたか。
私もようやく訪れることができました。
ここから海の先を眺めると、この城の位置関係がよく分かりました。
青森の深浦まで見通せるのには驚きました。
松前藩主松前家墓所へ行く方は歴史好きですよね。
江戸時代の松前が北海道最大の街だったと知る人は、今は結構少ないのでしょうね。
松前城の入口にあった武田家に似た家紋、なるほどと思いました。
桜の名所でもありますから、その時期にも行きたいものです。
ここから眺める津軽海峡、遠くには青森の岩木山。
北海道と本州の距離感を感じられました。
北海道に行っても、なかなか松前までは行きませんよね。
新たな発見があると思うので、是非いつか行かれて下さい。
北海道は海沿いに走っていると風車が多いですね。
風が強い証拠です。
江差には、開陽丸記念館があって当時の姿が復元されていて、中も外も、見応えがありました。
はい、松前城へ行けて嬉しかったです。
国宝の天守が残っていたら、更に魅力的だったでしょう。
正確には、日本最北端の藩、松前藩のお城です。
天守から見える津軽海峡、遠く岩木山、この城の位置関係がよく分かりました。意外に本州は近かったのですね。
小泊岬の形状もよく見えましたよ。
天気に恵まれて海岸線のドライブも気持ちよかったです。
江差の開陽丸記念館、いにしえ街道。
ここでも歴史散策ができて満足しました。
遠い街ですが、ストリートビューで見られるのが現代ですね。
最初は松前が北海道の玄関口だったのですね。
本州から渡った人々はあの岩木山を本州のシンボルとして眺めていたことでしょう。
内陸は未開地が多く、北前船が寄港する港は豪商も網元も栄えたのでしょうね。
歴史に視点を置くとまた旅は味わい深くなるものですね。私は写真に視点を置いているので特に美瑛に魅力を感じ、何度も行きました。
国宝の天守閣が、戦災で焼失したのではなく、昭和24年に焼失したんですね、重ね重ね残念です。天気が除ければ、対岸の本州も見えるなんて、天候に恵まれ良かったですね。( ^_^)
写真を拝見して、いろんな所で楽しめることが出来そうで、何時になるか分かりませんが、行ってみたときの参考となりました。
幕末の軍艦「開陽丸」は分かり易く展示され参考になります。
晴れていればここから岩木山が見えるのですね。懐かしい!
自分で訪ねるより精細な説明で良かったです
松前城へ行けて嬉しかった
国宝の天守がちょっと残念です
北海道庁の郡役所の庁舎
素敵ですね
そうですね、江戸時代は松前が北海道の玄関口でした。
北前船の最終寄港地であり、多くの商人も拠点を作ったのです。
そこから豊かな豪商や網元が生まれたことでしょう。
確かに、松前から見る岩木山は本州のシンボルだったかもしれませんね。
そうですよね、北海道の旅行者でも松前へ行く人はそれ程多くはないかもしれません。事実、この時も松前の街もかなり空いていました。
桜の時期は非常に賑わうのでしょう。
私の記事で、旅行感覚を味わって頂けたなら嬉しいです。
確かに、私は歴史に視点を置いた旅でした。
できれば、いい写真を撮りたいと思いつつ。
開陽丸が原寸大に復元されているのは良いですね。私も訪れてみたいものです。
松前城、まだ行かれてませんか。
やはり、なかなか行きづらい場所にありますね。
今回、思い切ってドライブして良かったです。
そうなんです、国宝の天守は戦災ではなく、昭和24年の火災で焼失したのです。非常に残念だったと思います。
お陰様で天気に恵まれて、対岸の本州がよく見えました。
是非いつか行かれて下さい。
記事が分かり易いと言って頂くと嬉しいです。
私自身もそういうふうに書きたいなと思っているので。
松前から津軽半島がよく見え、その先の岩木山まで見られて感激でした。
幕末の軍艦「開陽丸」は、沈んだ江差の地に復元され記念館となっています。
中も外も、見応えがありましたよ。
「楽しかった」と言って頂くと嬉しいです。
自分でも、旅の思い出の臨場感と歴史的な面影が記事に盛り込めたらいいなと思っています。
なかなか行けない、松前城。私も実際に行けて貴重な体験でした。
国宝の天守は戦後の火災で焼失、残念ですよね。
江差の旧郡役所も西日に照らされ素敵でした。
そうなんですよ、松前から見た南北を逆の地図、まさに新鮮な視点でした。
北前船の船主や松前藩士には、こんなふうに本州が見えたことでしょう。
安東氏から、蠣崎氏、そして松前氏という、蝦夷地の領主の変遷は興味使いです。十三湊は本州とはいえ、アイヌ人との争いや融合を経て、弘前藩は発展していったのですね。
松前藩もアイヌ人との交易と争いを繰り返しながら、その地を確立していったのでしょう。長い時間をかけたわけですよね。
津軽海峡は、近いとはいえ、潮の流れ早く往来は大変だったとも言われます。北前船もリスクを冒しながら航海だったのは間違いないですよね。
江差に復元された開陽丸、こちらの記念館も見応えがありますので、是非いつか行かれて下さい。
トラピスト修道院の門前に続くまっすぐな一本道を走るのは気持ちよさそうですね。
この記事の南北逆の地図を見た時、なるほど北海道からはこう見えるのかと、とても新鮮な感じがしました。この地図を見ると大間より白神岬が南にあることがよくわかりました。岩木山が見えるのもなるほどです。
咸臨丸と開陽丸、二艘とも岩礁に乗り上げて沈んだのですか。
軍艦の内はなかなか見ることはないですから興味深かったでしょうね。
歴史を感じながらの旅いいものですね。
私は松前城をぼんやり見て、ぼんやり覚えているだけです。
そうですね、函館からうずっと日本海追分ソーランラインをドライブして、海岸線を進みました。ちょっと寄り道したトラピスト修道院には、惚れ惚れする景観を味わえました。
今回は、江戸時代にの北海道の玄関、松前を訪ねました。
こちらから本州を見下ろすも面白いですよね。楽しい地図でした。
大間より白神岬の方が南にあるのも意外でした。
幕末の有名な戦艦、咸臨丸と開陽丸は二艘とも北海道の岩礁で沈没してしまったのです。はかなさを感じますよね。
今回も、歴史を感じながらの旅ができました。
開陽丸は今でも江差で沈んだままなのですね。
土方歳三の嘆きはいかばかりかと察せられます。
江差町郷土資料館はすてきな建物ですね。
歴史の勉強にもなり、楽しく読ませていただきました。
さすがですね、軍艦の体験が豊富ですね。
私は神奈川県民なのに横須賀の軍艦に乗り込んだことがありません。
はい、開陽丸は今でも江差で沈んだまま。
土方歳三の嘆きを想像しています。これで圧倒的に不利になったわけですから。
江差町郷土資料館は、土方がいたすぐ近くに今も建っています。
鉄道で松前まで行くには、道南いさりび鉄道で木古内まで行き、さらにバスに乗らなければならないので、なかなか何か所も回るのは難しいですね。
さすが車で回ると機動力が高いですね。
正直いって榎本軍は開陽丸が沈んでしまうと「詰み」だったので、このときの衝撃は察するに余りありますね。
当然、松前城へは行かれていますよね。
私は初めて、その当時のことを想像させてくれる松前藩屋敷は楽しい場所でした。開陽丸記念館もロマンがありますよ。
この辺りは結構行きづらいですよね。レンタカーではぐるっとできました。
開陽丸の沈没には計り知れない落胆があったこでしょう。
「土方歳三 嘆きの松」は本当なのではないかと思いました。