GWの西日を浴びた赤穂城と大石神社を巡ってから御崎へ
令和5年(2023年)のゴールデンウィーク、私の兵庫県の旅は、前回訪れた山上の竹田城跡から、今回は海沿いの街へと一気に移動しました。
高速道路を駆け抜けて、但馬の山城から播磨の海城へ。自分でもダイナミックな展開だなと思いつつ、向かったのは赤穂市。
こんな大手門と大手隅櫓(おおてすみやぐら)が迎えてくれました。
ここが播州(ばんしゅう)赤穂城(あこおじょう)の入口となります。
時刻は3時半過ぎ、西日に綺麗に照らされていました。
大手門の手前の左手には、こんな立派な和風家屋のお土産屋が。
伝統の塩味饅頭を販売する巴屋(ともえや)さんです。
和菓子だけではなくお蕎麦も。名物「討ち入りそば」という物騒な名前の大きな看板が目を引きました。
お腹はいっぱいだったので蕎麦は遠慮して、帰りがけにお土産として和菓子を買いました。
近くにはこんなレトロな郵便ポストがあって、微笑ましかったです。
瓦屋根のあるポストには、2つの家紋が記されていて。
左側の二つ巴(ふたつともえ)は大石家の家紋。右側の違い鷹の羽(ちがいたかのは)は浅野家の家紋。
やはり、お城の入口からあの有名な物語の一端を感じさせてくれます。
入城してすぐに現れる枡形(ますがた)に配置された綺麗な石垣に沿って進みました。
しばらく歩いていくと、両側に長屋門(ながやもん)が見えてきます。
城内の三の丸に建つ家老職の邸宅がこの辺りにあったのです。
その右手にあるのが、大石邸長屋門。
そう赤穂藩の筆頭家老を務めた大石内蔵助(おおいし くらのすけ)一家が、3代に渡って居住した邸宅の正面門長屋だそうです。
昭和53年(1978年)の復元。元禄14年(1701年)、主君の刃傷事件と悲報を伝える江戸から早かごがこの門を叩いたとされます。
現在、この旧大石内蔵助邸の敷地は、赤穂大石神社となっています。
右側からぐるっと回り込んで、この神社の正面の門前へと向かいました。
特徴的なのが、参道の両側にずらっと並ぶ赤穂四十七義士の石像。この門前の壮観な景観を見てみたかったのです。
左側に、大石主税(おおいし ちから)以下24体。右側は、大石内蔵助以下23体が並びます。
討ち入り姿のこれらの石像は、中国産の黒大理石製だそう。
なんと西安の兵馬俑(へいばよう)の工芸技術伝承者による作製とのことで、ちょっと驚きました。
西日を浴びて、それぞれに迫力を感じます。そんな石像が並ぶ参道は荘厳な雰囲気でした。
そして、右側の一番奥に、大石内蔵助良雄(おおいし くらのすけ よしたか)の石像が立っていました。
境内に進むと、忠臣蔵にちなんだ史跡や展示施設がいろいろあります。
そもそも赤穂大石神社は、大正元年(1912年)の創建。
大石内蔵助をはじめとした47義士、赤穂藩主の浅野家3代、その後の藩主となった森家の戦国武将が祭神として祀られています。
やはり、江戸時代は彼らを神として祀ることは、はばかられたでしょうね。
明治元年(1867年)、明治天皇が泉岳寺の義士の墓前に宣旨を出したことがきっかけとなったそうです。
それでも、神社の建設にはかなり時間がかかったのです。
現在の社殿の周囲には、赤穂義士の討ち入りの各場面を図解したパネルが掲げられていました。
国民的な定番ストーリーですから、思わず見入ってしまいます。
ちなみに、赤穂では「赤穂浪士」とは言わず「赤穂義士」と呼ぶそう。ここへ来るとそれもよく分かります。
よって、社殿の左手にあるのも義士宝物殿。
「忠臣蔵」と書かれた大きな陣太鼓が目立っていました。
やはり、ここは「忠臣蔵」の故郷のような場所。入って見たくなりますよね。
中には、赤穂義士や赤穂藩主が実際に使った小物類、忠臣蔵に関連する絵や資料などが展示。
それに、これまで映画やドラマで大石内蔵助を演じてきた数々の俳優が大石神社を訪れた時の写真も飾られていました。
やはり歴代の名優が多く、こちらも見入ってしまいました。皆さんも頭に浮かぶと思います。
そこから、境内の右手に広がる大石邸庭園にも足を運びました。
左手には、大石内蔵助のお手植えの松(三代目)があったり、池のほとりに巨岩を配しツツジが咲く光景は、なかなか素晴らしかったです。
大石内蔵助はこの邸宅での生まれ。筆頭家老大石家の庭園が非常に立派であったことが分かります。
ちょうど、ここは先程眺めた大石邸長屋門の内側。
この部屋でで大石内蔵助が長男の主税と一緒に、江戸からの早打ち状を読むシーンが人形で再現されていました。
この時、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみ ながのり)の江戸城松の廊下での刃傷事件を知ったのです。
まさにこの場所。衝撃的な瞬間だったことでしょう。
しばらく庭園を散策して、いろんな構図から眺めてみました。
瓢箪池(ひょうたんいけ)の奥から望む景観も素敵でした。
池の向こうの建物は義士木造奉安殿で、浅野内匠頭と義士全員の木造が展示されています。
それぞれが語り継がれてきた忠臣蔵のヒーローであり、愛されているなと感じました。
そしてもう一人、忘れてはならないのは、内蔵助の妻の大石りく。
りく(香林院)の石像も、この庭園の奥にありました。
仇討ち後に残されたりくの存在も、忠臣蔵のドラマのひとつですね。
ちなみに、隣にそびえるご神木の大楠は、樹齢300年以上と言われます。ちょうど浅野家の時代に植えられたのかもしれません。
それから、池の上にまで張り出して真横に伸ばす松の枝が印象的でした。
左から右へ5mはあったでしょうか。大切に維持されていますよね。
さあ、赤穂大石神社の境内をたっぷりと拝観した後、いよいよお城の中心部へと向かいました。
近年になって発掘され、再現もされている二の丸庭園を通り過ぎ、本丸門へと進みました。
赤穂城は、常陸国(ひたちのくに)笠間(かさま)から移封してきた浅野長直(あさの ながなお)が、寛文元年(1661年)に現在の縄張りの城郭として完成。それから40年後の元禄14年(1701年)、孫の浅野長矩の代でお家断絶に。
数年間は譜代の永井家が城主となりますが、その後は外様の森家が明治まで城主を務めました。
明治10年代に赤穂城は取り壊されましたが、平成8年(1996年)に復元。
今、本丸を囲む綺麗な石垣と外堀を見ることができます。
5万石程の小藩でありながら、大きな城郭を構築していたことが感じられます。
だからこそ日本100名城の一つにも選ばれています。
本丸の中に入ると、広々とした平地の空間があって、本丸庭園の池も復元されていました。
本丸の一角には見事な天守台も。
その天守台へは、脇の階段から登れます。上から見渡すとこんな感じでした。
この敷地に、播州赤穂藩の藩主の御殿や藩庁からなる藩邸があったのです。
藩主切腹後に残された家臣達が、ここで対応策を真剣に議論したことでしょう。
そんな場所には、昭和3年(1928年)からは昭和56年(1981年)まで、赤穂高等学校が校舎を連ねていたとか。
更に、本丸公園の池泉全体を見下ろすこともできます。
当時は、この本丸の外側には海へ出られる水手門(みずてもん)もあったとか。赤穂城は平和な時代に築かれた海城だったのです。
かつて、視界の先には海や塩田(えんでん)が広がっていたのではないでしょうか。
そんなことを思いつつも、現在は関西電力の大きな発電所がかなり目立っていて、正直、昔の面影を想像するのは難しかったです。
それでも、本丸の東側には、平成になって復元された厩口門(うまやぐちもん)が。
立派な高麗門形式の門で、往時のお城の格式を感じさせてくれます。
ここを抜け、三の丸の武家屋敷公園を通り過ぎて、こちらの清水門跡から赤穂城を出ました。
米蔵が連なるような建物は、赤穂市立歴史博物館。こちらも簡単に見学して。
実は、元禄14年に城を明け渡した後に、大石内蔵助がお城を後にしたのはこの門からだったそうです。
最後に、大石内蔵助が赤穂城に別れを告げてから向かった場所へ私も訪れたので、簡単にご紹介します。
それは、お城から車を走らせて15分程の温泉地エリア。
赤穂御崎(みさき)の先端にある海の見える神社でした。
伊和都比売神社(いわつひめじんじゃ)。海沿いの高台に建つ鳥居の風景が、実に綺麗で印象的でした。海の向こうに見えるのは小豆島です。
海を見渡す見晴らし台からは、岩場の海岸と瀬戸海に浮かぶ島々をのぞむ絶景が味わえます。
思わず「わ~、素晴らしい!」と口ずさんでしまうほど。
神社の境内から海辺に降りられる階段の坂があって、午後5時を過ぎていましたが若者でいっぱいでした。
坂を降りてから、人が少なくなった瞬間を撮影しました。
これが「きらきら坂」。素敵なカフェやお店が並ぶ人気の坂なのです。
私は知りませんでしたがネーミングが洒落てますよね。
ただ、私はこのお洒落な通りを目当てに来たわけではありません。坂を降りたところにある石碑。
「大石名残の松」と刻まれています。
そう、赤穂城を開城した後、大石内蔵助はこの港から海路で京都の山科へ向かったのです。その時、御崎の先端の松を見返えして名残りを惜しんだそうです。
そこから海岸に降りたところに、畳岩(たたみいわ)が浮かびます。
引き潮の時間帯には歩いて渡れます。
約320年前、ここで大石内蔵助が涙を流しただろう、なんて想像してしまいました。
夕暮れ時にここいる楽しそうな多くの若者は、そんなこと考えてないですよね。
それにしても魅力的な所だなと思った次第です。
Ako Castle, Oishi shrine & Misaki, Hyougo, Japan
この記事へのコメント
若い頃、城内に赤穂高校が在ったり、赤穂の浜で塩田が稼働していた時を
記憶しています。
赤穂の方言で満潮の事をニットウ、干潮のことをテットウ、貴男のことを
オンシ、オンシャ(オヌシ)等と思い出しました。
赤穂と言えば、何と言っても思い浮かぶのは忠臣蔵ですよね。
そんな所縁の地を散策して行くと、当時の場面が思い浮かぶでしょうし楽しそうです。
あ、若者でも忠臣蔵くらいは知っていると思いますし、感慨深くないのですかね?w
討ち入り姿のこれらの石像は兵馬俑の工芸技術伝承者の作なんですか。と言うことは、当時の技術が現代まで伝承されているのですね。それもまた凄いですね。
大石内蔵助役の俳優といえば、私の世代だと
何と言っても、長谷川一夫でしょうね。
NHK大河ドラマのごく初期の頃、
芥川也寸志のテーマ音楽が懐かしく思い出されます。
長谷川一夫も大石神社を訪れてるんでしょう。
赤穂城は海城でしたか。小豆島の見える
穏かな瀬戸内の海を眺めていると、
気候に恵まれた土地である事がよく分かりますね。
大石神社に祀られているのは大石内蔵助と47義士だけではないのですね。
浅野長矩夫妻と447義士のお墓がある泉岳寺に行ったことがあります。
今でもお参りする人が多く線香の煙が絶えないようでした。
作家の井上ひさしさんの講演を聞いたことがあります。
仇討ちをしたのは忠義な家臣として、どこかの藩に召し抱えられるのではないかという期待もあったのではということでした。
赤穂の方には叱られそうですが・・・印象に残っています。
楽しく拝見させていただきました。
赤穂城美しいですね。
何といってもあの国民的ストーリーが思い出され
ます。美談ですが大変だったことでしょう。
SNSのない時代、早かごで事件を伝える、家臣たちは本当に
驚いたことでしょう。きれいな写真と解説を読んで
私も又行ってみたくなりました。
塩味饅頭を販売する巴屋さん、りっぱですね@@
郵便ポストがカワイイ💛二つ巴は大石家の家紋ですね。
私の中の大石内蔵助一番押しは「長谷川一夫さん」←古い!!
『おのおのがたー』の掛け声が耳に残っています(笑)
奥様のりくさんのお話はじめ、赤穂義士の女史の物語も多いですね。
わが家の40台のお婿ちゃん、
赤穂浪士って?なんですか?それは!でした。
ジェネレーションギャップを感じてショックを受けました(笑)
海を見渡す見晴らし台からの、岩場の海岸と瀬戸海に浮かぶ島々をのぞむ、
小豆島も望めるんですね。瀬戸内は素晴らしいですね。
赤穂城はよく知りませんでしたが、100名城になっているんですか。
赤穂神社には義士の石像が並んでいるんですね。
天守台からの眺めも良さそうですね。
更にその先に伊和都比売神社からの絶景が待っていたようですね。
素敵な所を紹介していただきました。
赤穂城近辺がこんなに立派なところだったとは知りませんでした。今まで、旅行の候補地にも上がったことがありませんでしたが、加えておきたいと思います。
赤穂御崎もステキな場所ですね。
赤穂といえば忠臣蔵でしょうね。塩も有名ですが、今は海外産の塩を使っているとか塩田はなくなっているようです。
赤穂義士を祀っている大石神社を訪れれば忠臣蔵をじかに感じられますね。映画やドラマで何度も映像化されて誰もが知っている物語です。でも若い人には馴染みがないかもしれませんが…。
立派に復元された赤穂城も素敵ですね。瀬戸内海が見渡せる素晴らしい景観が良いですね。
大石内蔵助の当時の心情が手に取るようにわかる赤穂への旅でしたね。赤穂城へは一度行ってみたいと思いました。
四十七義士で有名な忠臣蔵のお城なんですね。
大石内蔵助の石像は立派ですね!
畳岩からの眺めは格別だったことでしょう。
山の武田城址から海辺の城赤尾城ですか~!
大石邸長屋門が美しいですね~☆
そして赤穂大石神社の参道に並んだ
赤穂四十七義士の石像、さすがに歴史に疎い私でも
この光景を見たら、ちょっと厳粛な気持ちになりそうです。
日本100名城、ミクミティさんはすべて巡れそうですね~☆
姫路からJRで赤穂にきたんですが、駅前には「息継ぎ井戸」があったように覚えてて、天守台も忘れてましたが、多分、登ってます。( ^_^)
赤穂城に行けば、大石神社には寄りますね。
電車で移動したので、赤穂御崎は知りませんでした。
何処で食事したか忘れましたが、赤穂塩のお店だったかどうか・・・記憶が・・・( ^_^)。
赤穂城、素敵ですね。
立派な石垣に驚きました。
>赤穂義士
確かに、地元の人からみたら浪士ではないですよね。
>伊和都比売神社
鳥居から海が見えるのがなんともいいですね。
キラキラ坂、歩いてみたいです。
今回も素敵な旅ですね(^o^)
播州なだけに「討ち入りそば」にはインパクトがありますね。郵便ポストの二つの家紋にも赤穂浪士の存在感を感じます。赤穂大石神社は初めて拝見しました。四十七士の石像を始め忠臣蔵にちなんだ史跡や展示物に興味がわきます。大石内蔵助も眺めていた赤穂御岬からの瀬戸内の島々が絶景ですね。
竹田城いかれたのですね。雲海はどうでしたか。
赤穂義士の事詳しく書いておられ、そうなのか~とか
そうだったのとかが、頭の中を巡っていました。
兵庫県に居ながら出かけた事がありません。
赤穂と言えば「塩」が一番に頭に浮かびます。
そして12月14日は義士祭がありニュースで流れますので
再確認の状態です。
あらすじはドラマや映画などで知っている状態・・
個々の人生もドラマがいっぱいですね。
楽しく拝読させて頂きました。
これだけまとめるには相当時間を要すると思います。
観光地らしくレトロなポストが印象に残ります。
城内の池や石垣なども又綺麗に整備されていますね。
私の兵庫県の旅、今回は赤穂でした。
赤穂城のことはある程度調べていましたが、城内の本丸に赤穂高校があったことは、今回訪れて地元の資料を見て初めて知りました。
さすが、お記憶にあるのですね。それはそれは。
塩田の風景も見たかったです。今は無いですよね。
赤穂の方言があるとは。これを使うと、御崎がテットウ(干潮)の時に、畳岩に渡れるのですね。
そうですね、私の兵庫県の旅では、赤穂も外せないと思っていました。
赤穂城も見たかったですし、やはり忠臣蔵の故郷。
ここにある大石神社で、忠臣蔵を実感できて見応えがありました。
ただ、若者は忠臣蔵を知らない人も多いそうですよ。
大石神社の石像は知ってはいたのですが、兵馬俑の石像の技術が使われているとは知りませんでした。確かに、凄い歴史を感じます。
そうなんです、忠臣蔵の故郷、赤穂へ行ってきました。
大石内蔵助役の俳優といえば、長谷川一夫ですか。
私はあまりよく知らなくて。私にとっては、緒形拳とか中村勘九郎ですかね。
やはり、NHK大河ドラマの主役のイメージですかね。
赤穂城は海城、小豆島が見えるというのは、穏かな瀬戸内の気候を感じますね。今回も穏やかでいい天気でした。
赤穂城は藩の石高からすると大きな城郭だったようです。
やはり塩田からの収益が藩財政を支えたのです。
大石神社、祀られているのは47義士だけではないです。
ここへ行くと、私もまた久しぶりに泉岳寺に行こうかなという気持ちなりました。今でもお参りする人が多いのでしょうね。
仇討ちの動機付けは、実は様々なものがあったのですかね。
それは想像するしかないですね。
ただ、やはり美談のイメージとして作り上げられた物語ともいえますね。
赤穂城は平成になってから復元されたので、全体的に綺麗だなと思いました。
ここは忠臣蔵の故郷のイメージがあまりに強いですよね。
それは城内にある大石神社で特にそうでした。
大きな事件であったことは間違いないですよね。
それが国民的な定番ストーリーへと育っていったのですから、忠臣蔵の物語自体が歴史でもあるなと思います。
兵庫県のほぼ最西端、播州赤穂城まで行ってきました。
塩味饅頭を販売する巴屋さん、目立ってましたよ。立派でした。
郵便ポストも微笑ましくて思わず撮影。
大石内蔵助一番押しは「長谷川一夫さん」ですか。一応、知ってます。
ただ私は、あまりイメージが無くて。私にとっては、緒形拳とか中村勘九郎でしょうか。
大石りくも、物語を盛り上げる忠臣蔵の大事な存在ですよね。
40代のお婿さんは、赤穂浪士を知らなかったですか。
おそらく、国際派なのでは。今の若者はそんな感じだと思います。
赤穂御崎から、海を見渡した風景が素晴らしかったです。
小豆島をはじめ瀬戸内の島々をのぞむのはやはり気持ち良かったです。
竹田城址の次は赤穂に行かれたんですね。
赤穂といえば忠臣蔵、旧大石内蔵助邸の敷地は赤穂大石神社となって、参道には赤穂四十七義士の石像が並んでいるんですね。ぜひ実際に見てみたいです(^^)
義士宝物殿では大石内蔵助を演じてきた俳優さんが大石神社を訪れた時の写真も展示されているんですね。この宝物殿も赤穂を訪れた際は外せないですね。
>赤穂御崎(みさき)の先端にある海の見える神社でした。
下の鳥居のバックに海が広がる写真、これはインスタ映えしそうな写真ですね。
鳥居と海、いい眺めですね。
赤穂城は行ったことがありますが、赤穂御崎も名残の松も見たことがありません。
討ち入りそばも食べてみたいですね。
大石内蔵助役、僕が印象に残っているのは、緒方拳さんですね。
第2回目大河ドラマですが子供のながらになんとかく覚えています。
記憶に残るのは討ち入りの場面とテーマソングです。
写真のような立派な神社、お城があるとは知りませんでした。
地元ではヒーローですね。
大石内蔵助の気持ち、かなりの重圧に耐えながらの日々だったろうと今になって思います。
江戸の平和な時代に造られたお城ですが、城壁、美しいと思います。
色々な演目の題材として扱われている忠臣蔵だけに、歴史的な意義よりはテーマパークの様な印象強く感じました。
山城の竹田城跡から海城の赤穂城へ。大移動でした。
そうですね、赤穂城はそれ程有名ではないかもしれませんが、日本100名城に選ばれています。平成になってからの復元工事の成果でもあるでしょう。
更に、大石神社は見応えがありました。
特に参道に並ぶ義士の石像が大迫力、威厳を感じました。
天守台からの城郭は様子がよく分かりました。
そこから、海がよく見える伊和都比売神社へ。
絶景が待っていました。お勧めの場所ですよ。
そうですね、播州赤穂城は平成になって大幅に復元されました。
それによって大きな城郭の姿がよく分かるようになってきたのでしょう。
それは今でも続いていて。どんどん見応えのあるお城になっていくと思います。
赤穂御崎も含めて、実に穏やかで見事な景観を味わえる場所です。
お勧めですよ。
そうですね、赤穂といえば忠臣蔵。
確かに赤穂の塩は有名ですが、現在は外国産みたいですね。
ここは大石内蔵助や赤穂義士の故郷。それを実感しました。
特に、赤穂義士の石像が並ぶ大石神社は迫力がありました。
更に忠臣蔵にちなんだ展示物も興味深かったです。
江戸時代の歌舞伎から、現代の映画やドラマを通して、忠臣蔵の物語は日本に定着してきたと思います。
だから、その故郷として赤穂城の復元も進んできたのでしょう。
今は、お城から瀬戸内海を見るのは難しいですが、少し離れた赤穂御崎では、変わらぬが絶海がのぞめます。
お勧めの場所です。
私も赤穂城は初めて。忠臣蔵の故郷として、平成になって次々に復元されてきたようです。だからこそ、大きな城郭が明らかになり、日本100名城に選ばれたのではないでしょうか。
特に、大石神社は四十七義士の石像が並んだり、立派な大石邸公園があったり、見応えがありました。
そこからしばらく離れた赤穂御崎からの眺望は、畳岩を含めて素晴らしかったです。
そうですね、赤穂浪士の話は知っていても赤穂へ行く人は少ないですよね。
ただ、平成からどんどん赤穂城が復元され、忠臣蔵の故郷として楽しめる環境が整ってきたと思います。
少し離れた、赤穂御崎は風光明媚で素晴らしかったです。
お勧めの場所です。
そうですね、山城の竹田城跡から海城の赤穂城へ、大移動でした。
大石邸長屋門の内側にある、庭園も見応えがあって美しかったです。
大石神社は忠臣蔵の故郷を実感できる場所でした。
確かに石像の並ぶ参道は厳粛な雰囲気でしたよ。
日本100名城は、まだまだなのですよ。
15年前に赤穂城に行かれましたか。
その頃にはほとんど大きな復元はできあがっていたのでしょう。
数年前まで二の丸庭園の復元整備が行われていたようです。
私は車で行ったので、赤穂駅には行かず「息継ぎ井戸」も見ませんでした。ここも名所のようですね。
赤穂城内に入れば天守台にも登ると思いますよ。
もちろん赤穂大石神社へも参拝しました。忠臣蔵の故郷を感じましたよ。
赤穂へ来るとお塩を味わいたくなりますね。
私は和菓子を買いました。
そうですね、復元された赤穂城、忠臣蔵の時代を想像したり城郭を味わったり、なかなか見応えがありました。
正直、「赤穂義士」という言葉は、少し聞き慣れなかったのですが、赤穂では「赤穂浪士」はないなと感じました。
赤穂城から少し離れた伊和都比売神社、鳥居から眺める瀬戸内海の風景が実に魅力的でした。ここにある、キラキラ坂。
人気の観光スポットのようですよ。
お城の前にいきなり「討ち入りそば」はビックリ。
ちょっと吹き出しそうになりました。
可愛い郵便ポストは微笑ましく、楽しい気分になりました。
私は、以前から赤穂大石神社の写真で見ていて、いつか行ってみたいと思っていました。日光が当たって石像も堂々としていました。
忠臣蔵にちなんだ史跡や展示物は、やはり興味がわきますね。
大石内蔵助の当時の様子を想像して、しみじみとした気分に浸れました。
私も赤穂市は今回が初めて。忠臣蔵に関連する史跡や展示は、やはり興味が湧きますね。その多くは平成になって整備されたようです。
なかなか充実しているなと思いました。
地元の方々の愛も感じました。
竹田城から赤穂城へ行きました。兵庫県を大移動。
GWだったので雲海は無く、逆に綺麗な晴天でした。
赤穂城や大石神社では、忠臣蔵の史跡や展示がいろいろあって興味深く見学しました。よく整備されているなと思いました。
あらためて忠臣蔵のストーリーを思い出しました。
兵庫県は広いですからね。県民でも行ってない人は多いのでしょう。
12月14日の義士祭は、地元の大きな話題なのですね。
私も赤穂城は初めて。大石神社を含めて、忠臣蔵に関連する史跡や復元物や展示を見学して、物語を思い出しました。それが楽しかったです。
記事をお褒めいただき光栄です。
それなりに時間はかかっていますね。だからスローペースなのです。
お城の前のレトロなポストは微笑ましかったです。
城内の池や石垣なども、綺麗に復元され整備されていました。
浅野家は取り潰しですよね。
当時の建物とかあるのでしょうか。
大河で討ち入りに参加しなかった家臣を主人公にしたことがあって
師走の忠臣蔵に飽きていた私には新鮮でした。
そうですね、竹田城址から赤穂城跡へ、山から海への移動でした。
赤穂といえば忠臣蔵、赤穂大石神社の参道には赤穂四十七義士の石像が並んでいて、壮観でした。厳かな雰囲気です。
その他にも忠臣蔵関連の展示はなかなか見応えがありましたよ。
是非、いつか行かれて下さい。
更に、赤穂御崎も素敵な景勝地だと思いました。
立ち寄って良かったです。
そうですね、私にとって初めての赤穂。
赤穂城は平成になってかなり復元されたのですね。
想像より大きな城郭だったことを感じました。
そこから少し離れた赤穂御崎は素晴らしい景勝地でした。
ここに大石名残の松があって、当時の様子を想像してしまいました。
大石内蔵助役、私も緒方拳さんの印象があります。
そうですね、私も忠臣蔵というと、大河ドラマの印象があります。
ただ、私は2回目大河ドラマは知らないのです。
よく覚えていらっしゃるのですね。
大石神社は、赤穂城の三の丸、かつて大石家の邸宅の敷地にあります。
見応えがある庭園や展示を味わえました。
地元ではヒーローなのがよく分かります。
私も大石内蔵助の当時の思いを少し想像してしまいました。
赤穂義士に関連する展示品、大石神社はなかなか見応えがありました。
大石邸庭園も格式を感じる美しさ、素敵でした。
赤穂城は、江戸の平和な時代に造られたお城。
塩田での収益もあって豊かな地域だったと思います。
だからこそ、大きな城郭を築くことができたのでしょう。
確かに、平成になって再現されたところばかりで、忠臣蔵のテーマパークの趣が無いとはいえませんね。
私も赤穂は初めて、やはり忠臣蔵の故郷を味わいたかったのです。
いきなり大手門付近にあった「討ち入りそば」。
大胆なネーミングですよね。食べてみたくなりますね。
赤穂大石神社の赤穂四十七義士の石像はやはり見応えがありました。
これを見たかったのです。
兵馬俑の工芸技術伝承者がいるなんて私も驚きました。
中国も歴史的な工芸文化を残そうとしているのですね。
赤穂御崎の海の景色も素晴らしいですよ。お勧めです。
そうですね、江戸城刃傷事件で浅野家は取り潰し。
ただ、赤穂城は明治初めに取り壊されているので、当時の建物はほぼ無いといっていいでしょう。三の丸にある長屋門も幕末の建物の復元だそうです。
忠臣蔵のストーリーは、長い歴史の中で様々な展開があったと思います。
そこから今でも様々な派生物語が生まれるが、まさに国民的な定番物語だなと思います。
随分と趣の違いを感じられたことと思います。
赤穂は若い頃にはよく海釣りで訪れたことが
ありましたが、お城へは中々行く機会がなかったです。
今から20年以上前に訪れたくらいです。
今回の丁寧な記事を見ていると、随分と整備復元が
なされているようですね。
大石神社参道の四十七士の像、中国の兵馬俑の技術者の
作成とは、驚きですね。
誰もが知る歴史的な事件
その場に立つと
何か感じる者もありますね
ずらっと並んだ石造
中国風だなと思ったら
やはりそうでしたね
竹田城跡から赤穂城へ、一日で大きな趣の違いを味わえました。
兵庫県は広いなとあらためて感じましたよ。
赤穂へは海釣りでよく訪れましたか。そういう場所でもあるのですね。
お城は平成になって次々に復元整備されてきたようです。
やはり忠臣蔵の故郷して、その歴史的知名度を地域振興に活用しようとしたのでしょう。
大石神社の赤穂四十七士の像、中国の兵馬俑の技術の継承者によるもと知って私も驚きましたよ。
そうなんですよね、あまりに有名な歴史的な事件。
赤穂はその現場ではないですが、家臣たちが激動の運命を辿った場所。
やはり感じるものがありました。
大石神社の赤穂四十七士の石像、迫力がありました。
まさに紀元前の中国の技術を踏襲したものであったのですね。
旅先でこんな名物に出会ったら嬉しくなっちゃいますよ
赤穂浪士とは言わず赤穂義士と呼ぶのも興味深いですね
歴史好きの方にはたまらない施設でしょうね
チャンスがあったら見学したいです
大石名残の松や畳岩、伊和都比売神社の鳥居が特に印象的ですね
そうなんですよ、塩饅頭に討ち入りそば、そそられました。
ご当地にちなんだネーミングが秀逸ですよね。
お蕎麦は食べませんでしたが、お見上げとして和菓子は買いました。
赤穂浪士という言葉が全くでてきませんでした。
赤穂では赤穂義士、なるほどと思った次第です。
まさに日本史の王道の美談、その物語の故郷は外せないなと思いました。
さらに、赤穂御崎にある伊和都比売神社の景観は、素晴らしかったです。
お勧めです。
ミクミティさんの記事を拝見して、もっとゆっくる廻ればよかったなんて、ちょいと反省しています^^;
赤穂城は学生の時ペンパル(古い)と会うことになり
新幹線で行きました
懐かしく楽しい思い出が蘇りました
山の上の武田城址から一気に海辺の赤穂城へでしたか。
赤穂城へは行ったことがないです。
四十七義士で有名な忠臣蔵のお城なんですね。
大石内蔵助の石像は立派ですね!
長屋門が美しいです。
畳岩からの眺めはいかばかりか?
素晴らしい場所でしたね。
文章がお上手だからお写真が活きますね。
赤穂城へは2回訪れましたか。そうですよね、1回ではないと思いました。
大石邸庭園や歴史博物館へは行ってないですか。
庭園は思っていたよりも立派でした。
筆頭家老の庭園としての格式を感じました。
忠臣蔵ゆかりという意味で、大石神社が最も見応えがありますね。
赤穂御崎も風光明媚で素晴らしいなと思いましたよ。
赤穂城へは、学生の時、ペンパルさんと会った思い出の場所でしたか。
それはそれは。新幹線で姫路まで行かれたのですかね。
私のブログで懐かしく思っていただけたなら幸いです。
その時からはだいぶ変わっているかもしれません。
山上の竹田城址から一気に海辺の赤穂城への大移動でした。
だいう趣が違いますよね。
赤穂城は、忠臣蔵の故郷。物語は有名ですが、あまりお城のことは知られてないかもしれませんね。大石神社で、四十七義士の圧巻の石像や木造に合うことができます。大石内蔵助は、地元の大ヒーローですね。
庭園や長屋門が立派でした。
更に、赤穂御崎は実に風光明媚な地。
瀬戸内や畳岩を眺めて楽しめました。
ブログを褒めていただき嬉しいです。