GWの備中松山城、霧に包まれても人気ありますね
ゴールデンウィーク前半、あまり天気が良くなくて少し心配でしたが、予定通りある山城へ向かいました。
城の麓付近に飾られたこいのぼりが、緑を背景にして心地よい雰囲気を醸し出していました。
このすぐ近くに、城見橋公園駐車場があって、ここでレンタカーを駐車。基本的に一般車はここまででした。
どんどん車が到着して、次々に駐車場が埋まっていきます。
ここから、満員の登城バス(400円)に乗って、山の8合目のふいご峠の駐車場まで上ります。
やはり、人気がありますね~。
この山城こそ、岡山県高梁(たかはし)市の備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)。日本100名城の一つです。
ここから、山登りを開始しました。
もちろん、麓からも登れるのですが、多くの人はここから登ります。
山の名前は、臥牛山(がぎゅうざん)。標高は約480mとこのこと。
しばらくすると、こんな立派な石垣が見えてきて、ここがしっかりとした山城であることが感じられます。
この石垣の上は、中太鼓櫓跡(なかたいこやぐらあと)。
文字通り、太鼓をたたいて情報伝達する櫓がここにあったのでしょう。
ここから下の方を見下ろしてみました。
緑に囲まれた高梁の街と右奥を流れる高梁川が見渡せます。きれいな盆地になっていますね。既に、結構な高さにいることが分かります。
そこから、更に登ります。それなりに急な部分もあります。
山城を見るためには、これくらいの登りは覚悟しないといけないですね。
約15分ほどで、非常に高さのある荒々しい石垣が見えてきます。
まずは、これを見たかったのです。
大手門跡とその右脇に連なる石垣です。
NHK大河ドラマ「真田丸」のオープニングテーマには、この石垣に水を流すなどのCG加工された画像が使われていました
。

上部に段階的に積まれた石垣が実に重厚で、惚れ惚れしますね。
もとからある自然の岩盤を使いながら作られたそうです。
石垣の上が三の丸。
ここから右に弧を描くように道が続きます。その左手に白い土塀が建っています。
これが、三の平櫓東土塀(さんのひらやぐらひがしどべい)で、江戸時代からの現存部分は重要文化財に指定されています。
山城にこのような土塀があるのが新鮮に感じます。
また、近くの石垣にはそれを覆うようなフジの花が咲いていて綺麗でした。
そうこうして、道が右に折れます。
その左手の平らな一角は、かつて御膳棚(ごぜんだな)と呼ばれた食事を作る場所だったそうです。
今、そこにある建物はトイレでした。
ここが、山城の最後のトイレ。結構登ったところありますが、きれいな水洗トイレでしたよ。
そこから広い石段を登ったところが二の丸跡。
いよいよ、目指してた天守にお目見えかと思ったら、霧が立ち込めていました。
折角、山道を登ってきたのに、霧の中で天守がよく見えないのは非常に残念。
しかも、備中松山城の天守は、日本の12の現存天守の1つ

天守の残る山城としては日本一の高さとして知られているのですから。
是非、しっかりと写真にも収めたかったのです。
でも、その願いが叶ったのか、しばらくすると霧の中から本丸の先に本物の天守が顔をのぞかせました。
天守は、天和3年(1683年)に、当時の城主、水谷勝宗(みずのやかつむね)が大改修したものだそうです。
重要文化財。
手前の重厚な平櫓や門は、平成9年(1997年)に復元されたもの。これは新しいのです
。

天守と一体となって勇壮な景観を作ってくれています。
その門をくぐって天守をのぞきました。
そこで出迎えてくれた(?)のは、この猫城主のさんじゅーろー。
大勢の入城者が取り囲み、まるで人気スターのようでした
。

さんじゅーろーが備中松山城の本丸に住み始めたのは、まだ平成30年(2018年)7月の豪雨災害の直後だったとか。ちょっと不思議ですよね。
今年から、猫城主としてお城のPRと岡山観光に一役かっているのです。
小さいながら岩盤の上にりりしく建つ天守の姿が見事です。
この後、当然ながらこの現存天守の中にも入りましたよ。
囲炉裏があるのが特徴的でしたね。籠城を意識した造りになっているのです。
天守の裏には、二重櫓がありました。
こちらも現存の建物で重要文化財です。中では、備中松山城が昭和初期にいかに修理され保存されてきたかの展示説明がなされていました。
そもそも、備中松山城の天守が残っているのは、あまりに高い所にあるため、明治の廃城令の時も、取り壊すのが困難でそれが放置されたため。
本来なら、幕末時に15代将軍、徳川慶喜の老中首座であった板倉勝静(いたくら かつきよ)が城主であったこのお城は、戊辰戦争で破壊される可能性もあったのです。
そんな山城は、ずっと放置され廃れていたのを、昭和の初めにこの地に中学教諭として赴任した信野友春(しなの ともはる)によって見直され、それをきっかけに地元の人々が一丸となって修復されたことが知られています。
それは、後世に残る本当に素晴しい仕事だったのです
。

おかげで、現在では全国で最も人気のある山城の一つとして多くの人が訪れるのですから。
実は、私がここへ来たのは、平成31年(2019年)4月30日。
平成最後の日だったのです
。

入城の際には、こんなカードももらいました。これは登城証明書です。
「本日の登城 大儀であった 備中松山城への登城を証明する」とのことです。
平成最後の日の心憎いプレゼントでした。
最後に、このお城のもう一つの有名な姿を私が見ようとした時のことをご紹介します。
雲海に浮かぶ「天空の城」としての備中松山城を俯瞰する風景です。
この日は、霧が山々にかかる今一つの天気。でも、ひょっとしたら、霧の合間にお城が見えるかも。
そう思って、「備中松山城展望台」にも車を走らせました。
お城の東側の山へ回り込むようにして行くのです。
車を停めて少し階段を登って歩いたところに、展望台はあります。
あの有名な「天空の城」の風景をイメージしながら近づきましたが、、。
「あああ~」、やっぱり駄目でした
。

そうだと思ったのです。展望台自体が霧に包まれていたら何も見えませんよね。
まあ、雨が降らずに何とかもってくれたことに感謝しつつ、備中松山城を後にしました。
若い頃は、備中松山城と備中高松城がごっちゃになることがありましたが、2つが全く違うお城であることを自分の目で確認した次第です。
私のGWの『岡山・吉備の旅』のレポート、よろしかったら以下もご覧下さい。
①吉備津神社と吉備津彦神社への参拝 ⇒ こちら
②吉備の鬼ノ城、造山古墳、備中国分寺 ⇒ こちら
③水攻めの古戦場、備中高松城跡 ⇒ こちら
④霧の備中松山城と猫城主のさんじゅーろー ⇒ こちら
⑤備中松山城の城下町高梁の散策 ⇒ こちら
⑥岡山後楽園の新緑の彩りの風景 ⇒ こちら
⑦岡山城の漆黒と金の鯱を眺めて ⇒ こちら
⑧岡山城と後楽園のライトアップ ⇒ こちら
⑨倉敷美観地区の街並みと新緑の風景 ⇒ こちら
⑩倉敷で大原家の足跡に触れて ⇒ こちら
⑪宇野港と直島での現代アート ⇒ こちら
Bichu Matsuyama Castle, Okayama, Japan
この記事へのコメント
正に山城という言葉がぴったり。
上から見下ろす高梁の街並みが
ミニチュアの模型のように見えます。
霧が出た時の様子などは幻想的ですね。
それにしても、あまりに高い所にあるため、
明治新政府も無視するしか無かった
というエピソードは、逆にここに城を造る事の
困難さを証明して、興味深いものがあります。
猫のさんじゅーろー君、貫録たっぷりですね。
備中松山城、これぞ山城という名にふさわしく、ずいぶん歩かないと見られないんですね。高い所にあったおかげで壊されずに残り人気のお城になったというのも面白いです。よくこんな高い困難な場所にお城を造ったものですね。
猫城主のさんじゅーろーくん、貫禄ありますね。
雲海に浮かぶ「天空の城」が見られなかったのは残念でした。またお出で下さいということでしょう。
門からの天守の様子、良いですね。
猫城主も細かい事には拘らない大物ですね。眠り猫なので、平和の象徴です。
雲海に浮かぶ城見れなかったのは残念でした。
松山城には行きましたが備中松山城には行ってません。
凄い場所にあるのですね。真田丸のタイトルバックに使われたCGの石垣ですか・・・知りませんでした。
自然の岩盤を使いながらできたのですか。
石垣に絡まる藤の花が自然でいいですね。
猫ちゃん、さんじゅーろうですか?
なんだか椿三十郎みたいでカッコいいですね。
いまは城主を務めてるニャンて、素敵だニャー
霧が晴れて良かったです。お城めぐりも体力勝負!敵から身を守るためにたくさんの階段が作られたのでしょうね。
山城ゆえに生き残ったお城
感動的でした
ミクミティさんにたくさんのお城を紹介していただいていますけど、この備中松山城、山中の奥深くにとても魅力的に在って、ありがたいような気持になりました。
お城に詳しくない私でも、石の階段を一歩一歩上ってゆきたい素晴らしい景観の場所ですね~☆
ご紹介、ありがとうございました!
備中松山城、いいですね。
私も二度ほど行ったことがりますよ。
大河ドラマの真田丸のオープニングですね~。
素晴らしい石垣、今名古屋城の木造復元が話題になっています。石垣の強度(?)が、木造復元化の賛否が分かれているようです。
猫城主、可愛いですね。座布団まで用意されていて、丁重に扱われていますね。
ミクミティ先生、とても良い歴史の勉強になりました(^o^)
標高が高すぎて、放置されていたとは。
それを先人たちが整備し直して今に至るのですねぇ。
それが今や観光名所。何が幸いするか、わかりませんね。
雲海を上から見下ろすのは、次の楽しみですね。
修復されて、日本一高いお城として現在に至るのは本当に幸せなことでした。
現在の猫城主様もさぞかしご満悦なことでしょう。
登城証明書の「大儀であった」にはクスッとしてしまいましたよ。
当時の城主様もこ家来が登城した時は同じ言葉を掛けてねぎらったのでしょうか。
石垣は岩盤を利用して作られたとはいえ、ほかの資材は急な山道を担ぎ上げたのでしょうからすごいことでした。
昔の人々のパワーは想像を遥かに超えていますね。
素晴らしい歴史をご紹介いただきました。
私からも「大儀であった。感謝申す」と言わせてくださいませ(笑)
築いた堅固な城
攻め落としに来た敵兵も
大変だったでしょうね
現存天守があるお城ですが
低い天守なんですね
雲海見てみたいです
随分な高さに見えますね。
480mとはとても思えません。
岩盤に急な石垣を複雑に構築して美しいと思います。
幕末でもこんな山城が維持されていたのですね。
猫もよく登ってきました。
もっとも主は江戸暮らしだったのでしょうが。
これを造った人々も 想像を絶する苦労
をなさったことでしょう。
三の平櫓東土塀の長い白い土塀に
新緑が覆いかぶさり とっても素晴らしい
風景ですね。
天空の城 私も見てみたいです。
取り壊されずに、歴史の中のままの
姿で本当に良かった。
荒々しい石垣、すごい迫力ですね。
霧の中から本丸の先に本物の天守、
願いが通じてラッキーでした。
猫城主も絵になりますね。
登る大変さが石垣で伝わってきます。
いつもありがとうございます。
すごい石垣ですね!
その猫ちゃんのことは聞いたことありますー!
ニュース(?)でしてた~( ´艸`)
天空の城というのは雲海のことですよね?
私、いつもたまたまですが何回か見たことありますよ。
不思議な風景ですよね。
さすが、よくご存じですね。確かによくぞこの高さに天守を建てたものです。それが残っているのが奇跡といえますね。
幕末の山田方谷の無血開城も幸いしましたが、何よりも、信野友春の発案にもとづく地元住民に再建努力があったからですよね。
真田丸のオープニングは今や知る人は知っていますね。
新選組の谷三十郎は備中松山藩出身ですからね。その名を取った猫城主は大人気でしたよ。
そうですね、GWということもあり備中松山城は非常に賑わっていました。人気の高まりを肌で感じました。それなりに、行きにくいところですからね。
高梁の街の様子を上から眺めて、その高さを感じました。明治から大正まで忘れさられていた時代があったことが信じ難いですね。
そうですね、確かにこれぞ山城という感じ。その上に本物の天守が残っているというのが感激でした。人気があるのが分かります。
本丸にようやく入ると猫城主のさんじゅーろーくんが出迎えてくれて癒されましたよ。こちらも大人気。
季節は違いますが、雲海の合間にのぞくお城の姿もできれば眺めたかったです。
そうですね、山をしばらく登ると立派な石垣が見えてくると嬉しくなります。更に進むと本物の天守が。これは人気があるのも分かります。
猫城主のさんじゅーろーくんは、座布団の上にじっとしていましたね。大物です。
お城の雰囲気もなかなかいい感じです。
「猫城主のさんじゅーろー」最近はこうした
PRも多いようで、若方からお年寄りにも
近づきやすいですよね。
荒廃してしまったお城の復興・・今に思えば
あちこちにたくさんの歴史上の財産が
あちこちにあったのに、勿体ないことをしてしまったと
思えます。でも、これも日本に歴史なのかもしれませんね。
雲海に浮かぶ「天空の城」も見たかったです。
写真で見たことありますが想像しただけでも価値ありそうですね。
猫城主さんじゅーろうくん、貫禄ありますね。
友人の息子さん、城好きが効して城検定に合格して活躍しているようです。
そうですね、山城の修復や増築、様々な維持活動は大変だ作業だと思います。放置されていたお城をそれを成し遂げた地元の方々の努力に頭が下がります。
猫城主の写真、ちょうど目をつぶった瞬間を撮ってしまいました。起きてはいたのですが。大勢に取り囲まれても平気でいるところなどは確かに大物ですね。
雲海に浮かぶ様子はまた別の季節に出かけないと駄目ですね。
そうですね、伊予松山城も備中松山城もどちらも現存天守を残すお城です。いずれも魅力あるお城ですね。
登って行く途中にある石垣、やはりテレビで見おぼえがありました。まあ、知っていたので。
自然の岩盤の上に建つ城の姿が立派でした。その前にたたずむ猫城主、ちょっと場違いな感じもしましたが、人気を集めていましたよ。微笑ましかったです。
猫城主のさんじゅーろー、なんでここにいるんだろうと思いましたが、とても微笑ましかったです。人気者でした。
山城の石段を登った末に出会えるのが嬉しいですね。
そうですね、険しい山の上に建つ天守、様々な歴史の偶然が重なり、地元の人々の愛によって現代の宝となったのだと思います。素晴らしかったです。
そうですね、備中松山城は山の上に建つ本物天守。それも日本一の高さ。明治大正と忘れ去られていたお城が、今や人気の山城ですからね。石段を登っていき現れた姿を見て感激でした。
そうでうか2回行かれましたか。羨ましいです。関東からは遠いですからね。
次回は雲海に浮かぶ姿を見てみたいです。真田丸に出てきた石垣はやはり魅力的ですね。
私の場合、途中までバスでいきましたから。麓から登られる方もおられますね。疲れて登った末に出会える石垣や天守には感激するものがあります。
そして、猫城主に癒されました。座布団ですからね。
いえいえ、先生だなんて。ただの歴史好き、旅好きです。思い出と見聞きしたことをまとめているだけです。
本当に偶然が重なって、現代における大人気の山城になっています。不思議なめぐりあわせを感じます。
そうですね、昔の人は本当に大儀でした。この高さに建築した労力に気が遠くなります。
現代人は、途中までバスでいき整備された石段を登っただけ。それはあんまり大儀ではないかも。でも、ちゃんと登城料は払っていますが。
猫城主もまだまだ新しい存在ですが、すっかり大人気。観光PRにも一役買っていますね。
お褒め頂き恐悦至極でございます。
そうですね、岩盤の上に石垣を積んだり、天守を建てたり、自然の地形を上手く活用して建築していると思いました。
それでも、山の上に建つ城、既に高地にあるので天守はあまり高くなくてもよかったのでしょう。 現存しているだけで素晴しいですね。
そうですね、山登りの途中から見下ろす高梁の町の様子にかなりの高さを感じました。よくこの高さにお城を造ったものです。だからこそ、現代まで残ったのでしょう。
猫城主もよく登ったと思います。不思議な感じがしました。かつての城主は江戸住まいでもあり、帰国しても天守に登らなかったのではないかと想像します。
天守までの道のり、ざっと20分位。途中までバスでしたからね。昔の人は本当に大変だったと思います。もちろん、昭和初期に再建に取り組んだ方々も。
三の平櫓東土塀の長い白い土塀は、新鮮な印象を受けました。これも大河ドラマ「真田丸」で登場していました。
雲海に浮かぶ天空の城は、また別の季節に来て見てみたと思います。
そうですね、よくぞ取り壊されず、更に再建され現代の宝となりました。歴史の流れに感慨を覚えます。
山を登っている途中に眺める石垣や天守。感激でした。途中から霧が晴れて本当によかったです。
猫城主にも癒されましたよ。
今や、備中松山城は全国的に人気のお城、石垣でも有名になりました。テレビやマスコミにもよく登場しますからね。
本丸で堂々した猫城主に出会えて微笑ましかったです。
雲海に浮かぶ様子はいつか是非とも見たいなと思いました。
高い山の上での築城は想像を絶する難作業だったと思います。昔の人の凄い技ですよね。
そんな高いところにある本丸の座布団の上に、猫城主のさんじゅーろーは堂々と佇んでいました。多くの観光客に取り囲まれても悠然としていましたよ。
山に上にある本当に立派な石垣だと思いました。ドラマに使われるのも分かるような気がしました。
その上に、猫城主のさんじゅーろーは佇んでいました。まさに観光のPR役でしたね。
こういった山城はかつて日本各地にあったと思います。多くは取り壊されてしまったのですよね。
そうですね、山の上の岩盤の上に築かれていました。かつて忘れ去れていた城が、今や人気の山城。時代の移り変わりを感じますよね。
雲海に浮かぶ天空の城としても有名ですが、今回はその様子は拝めませんでした。またいつかと思いました。その時までさんじゅーろうくんはいるかな。
私もお城の検定を受けてみたいです。でもちゃんとした勉強が必要ですね。
やはり大河ドラマのオープニングにも使われた石垣、絵になりますね。
松山城に行くときに乗ったタクシーの運転手さんの話では、竹田城よりも霧の発生率が高く、「天空の城」が見られる確率がたかいそうです。
僕もいつか挑戦したいと思います。
10~11月がいいらしいですよ。
私も同じ4月に行きました。大松山城へは行かず小松山城まででしたが。時間も無く天気も悪かったので。
やはり大手門跡の石垣は迫力があって魅力的でしたね。
この日は霧がかなり立ち込めていました。雲海とはちょっと違うと思いましたが。
雲海は寒い時期ですよね。竹田城も行きたいです。
攻めるに難し、守るに安しなのでしょうが 家臣は登城するのは大変だったでしょうね。
平成最後の登城、大儀でござりました
猫城主様からだったら私はもっと嬉しかったのですが…
備中松山城は、それなりに高さのある山城。途中までバスで行けますが歩かなくてはなりません。歩いた末に現れる石垣が天守が実に魅力的なので、今や非常に人気のあるお城です。
幕末の頃には、藩主や藩士たちもあまり登城しなかったのではないかと想像しています。だからこそ壊されなかったのかと。
登城証明書の主は、猫城主かと最初は思ったのですがね。違いました。
臥牛山には松山城以外にも色々な遺跡が残っているようで、古くからこのエリアの要所だったのでしょうね。一度歩き回ってみたいです。
平成最後の日の登城証明書ですか。これは嬉しい記念品ですね。
山の上にこつ然と現れる石垣、インパクトがありました。
臥牛山には鎌倉時代からのお城の遺構が幾つか残っています。全部見ようとすると相当な時間がかかります。本当はそんな散策したいなと思うのですが。
この登城証明書は思い出に残ります。
天然の岩盤を利用した石垣とのこと、どのような方法で石を固定したのか興味津々です。
確かに板倉勝静氏のお城だったら 戊辰戦争も明治の廃城令の時も間違いなく真っ先になっててもおかしくないはず。
それこそ城を守る為の山城ならではです。
それを再評価できる人たちがいたことが素晴らしい。
見せてもらってまた勉強になりました。
なかなか寄せてもらえず申し訳ないです。
「ホントに素晴らしい山城」、そうですね。お陰様で登ることができました。この高さにどうやって天守を建設したか、興味深いですよね。
板倉勝静のお城が、戊辰戦争でも破壊されなかったことは幸運だったのは幸運だったと思います。もちろん、山田方谷の力もあったことでしょう。
それを昭和の初めて再建して、現存させていることが偉大なことです。
その恩恵を受けていることを感じなくてはいけないなと思いました。
おはようございます(^^)
どうもご無沙汰しておりました。
新記事でなくついついこの記事にコメントしちゃいました(^^;)
備中松山城・・・ワタシもほんとにあこがれのお城です。
夫サマが岡山にいた頃に行ければ良かったのですが、なかなかそうはイカの天ぷら(笑)
何事もタイミングが大事ですね。
このお城、TVで紹介されていて石垣の見事さにほれぼれ。
あぁー行けばよかったと後悔。
現存する天守12城のうち、訪れていないのは5城。
城好き、歴史好きにはやめられないお城巡り。
時間とお金が平行すればいいのですが(^^;)
天空の城もその時のタイミングなんですよねぇ~。
過去記事拝見させてくださいねぇ~(^^)