大磯(OISO)は宿場町!

神奈川県の大磯(OISO)は、江戸時代には旧東海道の宿場町。品川から数えて8番目。今回は、そんな宿場町の面影を探してみました。

まずは、この松並木いかにも街道筋という感じ。でも、自動車もびゅんびゅん来ます。(国道1号線ですから。)

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続いて、本陣跡。写真の右手、現在のNTTの建物が、当時の大磯宿の本陣の一つだったとのこと。(小島本陣) 本陣跡の碑も残されています。ここにも沢山の大名が宿泊したのでしょう。

左側のお蕎麦屋の家も、もとはかなり古そう。

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宿場町の地図の看板も掲げられています。

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そして、大磯に伝わる伝説の女性、虎女(とらじょ)の名残がそこかしこに。

鎌倉時代の仇討ちの「曾我物語」(そがものがたり)のヒロイン。曾我兄弟の兄(十郎)と恋仲であった彼女。仇討ち成功後に処刑された十郎の菩提を生涯とむらったとのこと。そこが、延台寺。ここには、虎女の時代から伝わる虎御石(とらごいし)も祀られています。この石は、十郎の身代わりになって矢や刀を受けたと伝えられているそうです。この石も不思議な伝説をもっているようです。

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ちなみに、これも古そうな和菓子屋さん。新杵(しんきね)というお店。大磯名物西行まんじゅう虎女まんじゅうを売っています。島崎藤村や吉田茂が愛したまんじゅうと言われると、、すぐに買ってしまいました。おしいですよ

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ちなみに、歌川広重東海道五十三次大磯宿。雨が降っていますが、このサブタイトルが「虎が雨(とらがあめ)」。つまり、十郎が仇討ちを遂げた際、虎女が流した涙が雨になったのが「虎が雨」。その後、曾我兄弟の命日、陰暦5月28日に降る雨を「虎が雨」といったという故事を、広重は自分の絵に盛り込んだのですね。曾我物語は、江戸時代には歌舞伎や浄瑠璃で人気の題材になっていたとのこと。

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最後に、鴫立庵(しぎたつあん)。同じく国道1号線(旧東海道)に面している。ここは、西行法師の歌にある鴫立沢(しぎたつさわ)に、江戸時代の寛文4年(1664年)に崇雪が庵を開いたところ。現代まで300年以上続く俳諧道場だそうだ。

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入場料100円。ここは完全にタイムスリップしたような空間。これだけの庵を現在まで維持しているのはすごい。また、確かにここに沢があるのです。

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尚、もう一つ発見が。この鴫立沢が、湘南(しょうなん)という言葉の発祥の地だそうです。鴫立庵を開いた崇雪が、中国の湘江の南方一帯の景勝地にちなんで「湘南」と碑に刻んだことこから、この地名が使われるようになったそうです。それで、ここに「湘南発祥の地」の碑があるんです。

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そうか、湘南って大磯が始まりだったんだ。これも今回、初めて知りました。
つくづく奥深いな~と思いました。



この記事へのコメント

2010年08月16日 23:28
こんばんは
気持ち玉ありがとうございます。
小さな花
2010年08月17日 00:15
ほんとうに奥深いお話でした。 よく目にする広重の大磯宿の雨は虎女の涙でしたか・・鴫立庵、是非訪ねてみたいと思いました。湘南発祥の地が大磯だったのですね、ひとつお利口になりました(^^)v
baisa
2010年08月17日 11:23
こんにちは。
物を知る事の楽しさ。うれし~いです。
有難う。
2010年08月17日 22:27
ただチャンさん、こちらこそ有難うございます。
九州は、ほとんど縁がないので、興味深く読ませて/見せてもらいます。
2010年08月17日 22:35
小さな花さん、いつもコメント有難うございます。
共感して頂けるとこちらも嬉しいです。
大磯へ行くのは、今回が初めてではないのですが、自分の目の付け所が変わると、色々と驚くような発見があるものですね。年齢的な要素もあるとは思いますが(笑)
2010年08月17日 22:41
baisaさん、コメント有難うございます。
私も何かを発見したり、新しく何かを知ることができた時、幸せに感じます。自分が面白く感じることを共有できるのは更に嬉しいことですね。

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